こんばんは。

ご覧頂きありがとうございます😊

 

本日も想像力と発掘良品の発掘⑮というテーマで

 

小人の饗宴(1970)

(原題:AUCH ZWERGE HABEN KLEIN ANGEFANGEN)

 

という映画を解説してみたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

★発掘良品の発掘とは?

 

発掘良品とは、TSUTAYAさんによる新作・旧作、有名・無名、公開・未公開ではなく「面白い」を基準に作品をセレクトし、毎月紹介してくれている映画ファンたのための素晴らしいシリーズ。

本シリーズは、そんな発掘良品の全作品を5~6年かけてご紹介させて頂こうという超長期目標のシリーズとなっております😄

 

↑今月のラインナップの詳細はコチラ!

 

 

 

 

解説できない理由がある映画

 

本作はヴェルナー・ヘルツォーク監督の作品中、最も解説が難しい作品!

 

と言っても、ストーリーが難解なわけではありません。

 

 

 

本作は、解説する事がはばかられるような内容の作品。

 

恐らくですが、本作の感想を言ったり、内容を議論する事さえ、ある種の困難を伴う事であるよう思われます汗

 

↑本作は映像をご紹介する事さえ

 細心の注意を必要とする作品なのです…

 

 

 

アバウトなストーリー 

 

「キネマ旬報社」さんのデータベースによれば本作の解説は以下の通り。

 

ある教育施設で起った小人達の事件を通し、暴力のエスカレートするさまを描く。

製作・監督・脚本は「カスパー・ハウザーの謎」のヴェルナー・ヘルツォーク、撮影はトーマス・マウフが各々担当。

出演はヘルムート・ドーリンク、ゲルト・ギッケルなど。16、モノクロ、スタンダード。

 

 

ね。

 

キネマ旬報社さんの解説でも、かなり言葉を選ばれていらっしゃいますね。

 

 

 

本作の舞台は、人里離れた場所に建てられた教育施設。

 

ですが教育施設といっても、この施設に収容されているのは小人症の人たちばかり。

 

 

 

ある日、教師(もしくは管理責任者)たちが、町に出ている間に、小人たちは反乱を起こします。

 

原因は、管理者側らしき小人が、小人の一人を縛って監禁したため!

 

最初は捕まった仲間の小人を解放するよう叫んでいた小人たちですが、電話線を切った事で、そとの人間と連絡できなくなった事で調子に乗った小人たちは、いつしか本来の目的を忘れ、施設の器物を破壊したり、豚を殺害したり、校長が大切にしていたシュロの木に放火したり、無目的に自動車を校庭に走らせた末、大きな穴へと落としてたりと、常軌を逸した行動に歯止めがかからなくなってしまったのです!!

 

↑車なんて、こうしてやる!!!

 

 

さて、ハイテンションで笑い続けながら、破壊の限りを尽くす小人たちの饗宴は、一体どうしなってしまうのでしょう?

 

それは是非、皆さん自身の目でご覧になって頂ければと思います。

 

 

 

【私の感想】 観客の思想が暴かれる作品

 

皆様がご覧になる楽しみを奪わないよう、これ以上詳細を書く事は差し控えさせて頂きますが、恐らくですが本作に登場する小人症の人たちの行動は、演技ではなく、普段の行動をそのまま映像に残したもの。

 

彼らの話にも行動にも脈絡が感じられず、それに気づいた観客は次第に、彼らはひっょとして精神を病んでいるのでは…と想いはじめてしまうのです。

 

 

ですが、軽々に他者を正常かどうかを判断する事は現に慎むへき事!

 

だからこそ観客は、観てはいけないものを観ているような感覚なりつつも、「観てはいけない」という姿勢もまた慎むべき行動なのではないかという想いが心によぎり、スクリーンから目が離せなくなってしまうのです!

 

 

そう。

 

前回の「カスパー・ハウザーの謎」でも解説させて頂いたように、ヴェルナー・ヘルツォーク監督は、人間という存在の本質を冷徹に喝破するような作風の作品が多く、観終わった後に、人間の愚かさや生きる事の意義などを考えさせられるような哲学的な作品を撮られる方。

 

 

 

そんなヘルツォーク監督が本作で描いたのは、観客が心の中に隠している、精神に異常をきたしている人間の行動を目にした時、観客の心の中に生まれる感情!!

 

 

ですので恐らくですが、誰もが、この映画を観ながら思っている感情を口にする事ができず、押し黙ってしまうのです。

 

もちろん私も含め…

 

↑感想が難しい例①「植木鉢の花を燃やす小人」

 

 ゲラゲラ楽しそうに笑って花に火をつける

 小人たちの姿を見て、観客が心の中で想う事を

 言葉にして説明できるのでしょうか…

 

 

 

私見ですがそんな本作は、マルセル・デュシャンの「泉」のように、観客の感想が論議の起点となってしまう作品であり、恐らくですが、観客の持つ感想の中にこそ、差別や偽善や排除の論理などが垣間見えてしまうのではないかと思うのですが、皆様はどう思われますでしょうか?

 

↑新品の男性便器を「泉」というタイトルで

 展覧会に出展したマルセル・デュシャンは、

 これは芸術か否かを観客に問いかけるという

 新しい視点のアートを生み出しました😊

 (皆様はどう思われますか?)

 

↑本作では、無目的に一匹のニワトリを

 攻撃し続けるニワトリの姿を映し続けますが

 本作で小人たちが行っているのは

 このニワトリと同じような行…

 

 あ。やっばり解説すると

 私の中の本音が出てしまいますね汗

 

 そんな隠している感情が湧き出てしまう本作は

 人間の精神を研究しつくした

 ヘルツォーク監督にしか作れない作品だと思います。

 

 

 

 

 

という訳で次回は

 

愛すべき愚直さ

というテーマで

 

フィッツカラルド

 

という映画を解説してみたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします😘

 

 

 

 

ではまた(*゜▽゜ノノ゛☆

 

★おまけ★

併せて観たい発掘良品!
「WALKABOUT 美しき冒険旅行」

 

本作は、あの「赤い影」や「錆びた黄金」を撮られたニコラス・ローグ監督の作品!

あの、と言ってもご存じない方も多いのではないかと思いますが、「赤い影」と「錆びた黄金」は、すでに発掘良品にセレクトされている生きる事の意味を問うような衝撃的な展開の作品!!

 

そんなニコラス・ローグ監督作品の本作で描いたのは、オーストラリアの砂漠地帯で、突然父親に襲われた姉弟が生死の境をさまようという衝撃的な展開!!

 

近代社会を漫然と生きていた姉弟は、オーストラリアの砂漠で生死を彷徨う事で、生命に執着する生存本能を学んで行くのです…