こんばんは。
ご覧頂きありがとうございます😊
本日も想像力と発掘良品の発掘⑬というテーマで
サンタ・サングレ 聖なる血(1989)
(原題:SANTA SANGRE)
という映画を解説してみたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。
本作は、前回ご紹介ざせて頂いた「ホーリー・マウンテン」と、発掘良品第36弾でご紹介させて頂いた「エル・トポ」と併せて、アレサンドロ・ホドロフスキー監督の人間哲学3部作とでも言うべき強烈な内容の映画!
↑故ジョン・レノンやマイケル・ジャクソンが溺愛していた
という伝説の映画「エル・トポ」
これらの作品は、何の予備知識もなく観ると"変な映画"“正常な感覚では作れない映画”と感じられるかもしれませんが、一度ご覧になった後、観るべきポイントを絞って再度ご覧になると、初見では気付かなかった新たな発見がある“後を引く作品”!
本日の「サンタ・サングレ」も前2作と同様、もし映像や内容に拒否反応を起こさないようでしたら、間違いなく一生記憶に残り続ける、強烈な映像とメッセージが詰まった作品となっているのです😊
↑只ならぬ雰囲気のポスターからも、普通の映画ではない事が
察して頂けると思います…
「キネマ旬報社」さんのデータベースによれば本作の解説は以下の通り。
連続殺人に手を染める青年の異常心理をオカルト・タッチで描く!?
…こ、この解説はちょっと、内容を曲解したものであると言わざるを得ませんね
本作は、幼年期にショッキングな出来事で父母を同時に失ってしまった可哀そうな少年の物語!
ショッキングな出来事って、交通事故とかテロリストの襲撃みたいな事?
いいえ。
主人公の少年フェニックスは、メキシコのサーカス団の団長オルガと、新興宗教にのめり込んでいるエキセントリックなコンチャとの間に生まれた一人息子。
↑少年マジシャンのフェニックス!
エキセントリックなコンチャは、強姦された上に両腕を切り落とされて死んだ高校生を神と崇める「聖なる血(サンタ・サングレ)教会」を運営していましたが、彼女の教会を異端だと断罪したカトリック教会の指示によって、サンタ・サングレ教会はブルドーザーに破壊されてしまいます!
↑サンタ・サング教会の教祖であるコンチャ!
↑「彼女こそ、私たちが崇める救い主です!!」
「こ、これは異端どころじゃない!邪教だ!」
↑問答無用で取り壊されるサンタ・サングレ教会
そんな母の宗教活動に興味のない好色な父オルガは、新しく団員となった入れ墨の女の艶めかしい体に夢中!!
↑ウヒョ~。たまんねぇカラダじゃねぇか
そんなオルガと入れ墨の女は、公然と浮気するようになりますが、ある晩、二人の関係を目撃して激怒したコンチャによって、オルガは局部に硫酸をかけられてしまいます!
瀕死の重傷となったオルガは、コンチャの持っていたナイフを採り上げ彼女の両腕を切断した後、自分の喉を切って自殺!!
その全てを目撃していたフェニックスは、ショックで精神を病み、病院に長期入院する事となってしまったのです!
↑言葉を喋らず猛禽類のような生活をするフェニックス!
けれどある晩、他の入院患者と一緒に繁華街を散策したフェニックスは、彼の家族を破滅させた入れ墨の女がいる事を発見したのです!!
↑「!!!!!!!!!!!!!」
何かに憑かれたようにフェニックスは病院から脱走しますが、外には両腕を失ったコンチャが彼を待っており、二人は二人羽織のような“コンチャと魔法の手”という曲芸をしながら新たな生活を始める事となったのです!!
↑病院したフェニックスの前に両腕のないコンチャが!
↑両腕のない母コンチャをフェニックスがサポート!
コンチャと再会できて良かったですねフェニックス😊😊😊
けれどその頃、入れ墨の女は何者かによって惨殺されていたのです!!
↑何者かに襲われて惨殺さりた入れ墨の女!!
さて果たして、解説しているだけで頭がクラクラしてくるような本作は、この後、一体どうしなってしまうのでしょうか?
それは是非、皆さん自身の目でご覧になって頂ければと思います。
↑そして何故フェニックスは鳥になっていたのでしょう?
「エル・トポ」や「ホーリー・マウンテン」が人生や人間というものの存在について考えさせられる哲学的な映画だったのに対し、本作で扱われているのは、家族というものに焦点を当てた哲学的な映画!!
暴力でも、非暴力でも人類を救う事ができないと喝破した「エル・トボ」や、キリスト亡き後も愚行を重ね続ける人類は、新たなる宗教でも救済できないと諭した「ホーリー・マウンテン」は、人類を突き放すような作品でしたが、本作は、超劣悪な家庭に育った子供は、狂気に陥るしかないのか?という厳しい問いに対して、必ずしもそうとは言えないという優しい答えを用意されています😊
私見ですがこれは、監督の出自に起因する人生観ではないと考えられます。
メキシコという過酷な環境で生まれたアレハンドロ・ホドロフスキー監督の心には、為政者や宗教に対する不信感があると同時に、我々日本人が想像できないような理不尽な環境下で生きている庶民たちには、生きる希望が残されている事を身をもって知っているのではないでしょうか?
↑大人になったフェニックスは監督自身が演じています。
母と父が殺し合って血しぶきが道路を覆うような環境下は、誰もが狂気に陥る可能性がある絶望の世界!!
ですがそんな絶望の世界においても、孤独な魂を救済してあげたいと考える優しい隣人がいるのであれば、人は狂気から抜け出せるものなのかもしれません。
そう。
諺に言う縁なき衆生は度し難しとは、どんな世界でも縁のないものは救いようがないという事。
ですが逆説的に言えば、たとえどんな酷い世界であっても、縁のあるものがいるのであれば、救う事ができるという意味にもとれます。
狂気に陥っていたフェニックスは、幼い時に傍にいてくれたアルマという優しい少女がいていれと事により、救われる事となるのです…
↑言葉が喋れないアルマに優しく接したフェニックスは、
大人になったアルマに救われる事になります。
絶望の世界にいたアルマはフェニックスに救われ
狂気の世界にいたフェニックスはアルマによって
救われる事になるのです😊
という訳で次回は
あゝ文種(ぶんしょう)
というテーマで
パワープレイ
という映画を解説してみたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします😘
ではまた(*゜▽゜ノノ゛☆