2月7日は『北方領土の日』です。≫
これは、1855年(安政元年)2月7日に日魯通好条約が調印されたことに拠ります。
(江戸時代から、北方領土は我が国の領土だったのですねぇ~。)
この条約によって、我が国は千島列島を手放し、逆に択捉島から南側は我が国の領土と日魯両国で確認しました。
なお、間宮林蔵(~1844年(天保15年)2月26日)に拠って1809年(文化6年)5月17日に発見された樺太はそれまで通りに我が国とロシアの両方の国民が居住出来る地と定めていました。
その後の有効な条約に拠り、樺太の北半分と千島列島は我が国の領土ではなくなってしまいましたが、現在の北方四島(択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島)は我が国の領土です。
しかし、当時のソビエト連邦の軍隊(赤軍)が1945(昭和20年)8月9日に日ソ中立条約(1941年(昭和16年)4月25日、昭和16年4月30日官報第4290号条約第6号)を一方的に破棄して参戦し、1945年(昭和20年)8月15日の日本のポツダム宣言の受諾後の8月28日から不当に占領して現在に至ります。
それと、一度奪い盗られた領土を取り返すことは大変困難です。
(そもそも平和・民主主義国家が、独裁国家と渡り合うことも大変です。)
そして、今般のロシア連邦に依るウクライナ侵攻。
(この戦争も、もう直ぐ2年になります。)
やはり、民主主義と法の支配に依らない共産主義的思想は、非常に危険で怖いです。
(共産主義的思想は、話し合いや調整などをせずに、どうしても何でもかんでも命令になる様です。)