図書館でヘミングウェイとフィッツジェラルドの書簡集というのを借りてきた。

 

文通を趣味とする者としては興味深い。

 

20世紀のアメリカを代表するこの二人の作家が友人だったとは知らなかった。フィッツジェラルドが3歳年上である。

 

フィッツジェラルドは「華麗なるギャツビー」しか読んでないと思う。

 

ヘミングウェイは日本語で文庫本化された作品は多分ほとんど読んだと思う。中学1年の時に新潮文庫の夏休みの文庫本フェアで読んだ「老人と海」がヘミングウェイ初体験だった。

 

先に世に出たフィッツジェラルドとのちにノーベル賞を受賞したヘミングウェイ。この二人は15年にわたって文通を続けた。15年もあれば不仲の時期もあり、文通が途絶えることもあった。メールもラインもない時代は文通するしかなかった。

 

体が大きいヘミングウェイは先に売れたフィッツジェラルドに対して初めから臆することはなかった。一方、小柄なフィッツジェラルドはヘミングウェイの歓心を買おうとし続けていたような感がある。

 

15年を俯瞰すると、おおむね何かをやらかして不仲を生み、絶交を宣言され、仲直りを請うのはフィッツジェラルドの方だ。酒癖の悪いフィッツジェラルドは久しぶりに会ったヘミングウェイの目の前で酔っぱらって暴れてパーティを台無しにする、なんてことをけっこう繰り返している。多分、ヘミングウェイはそのたびに「しょうがない奴だ」くらいは思っていただろう。

 

一番ひどく、かつ笑える逸話もフィッツジェラルドのドジに拠る。

 

ヘミングウェイは、小説を書くよりボクシングをする方が好き、と自分で言うくらいの無類のボクシング好きだった。

 

ある日、ヘミングウェイは同じく作家で学生時代にボクシング部にいて腕に自信があったキャラハンとボクシングの試合をした。その試合でタイムキーパーを務めたのがフィッツジェラルドだった。ところがこともあろうか、フィッツジェラルドはラウンド終了の時間が来たのにゴングを鳴らし忘れ、やけに長いラウンドだと油断したヘミングウェイは一瞬のスキを突かれてキャラハンのボディー・ブロウをみぞおちに食らいノックアウト。そのあとヘミングウェイが激怒したのは言うまでもない。

 

アルコール中毒だったフィッツジェラルドは結局それが原因だったのか心臓発作を起こして死んだ。44歳。

 

それから21年後、ヘミングウェイは散弾銃で自殺した。62歳だった。