機は熟すのを待った方がいい場合もあり、逆にそれを見るに敏として即断した方がいい場合もある。

 

先週の1週間はこの日が来るのを待ち望んで過ごした。

 

土曜日。

 

初めて会う人に会う。少なからず緊張するが、今回はそれをワクワク感の方が上回った。なぜなら、その人とはすでに友人であるからだ。会ったことがないだけである。

 

おそらく一年以上前から互いにブログの読者になり、やがてコメントのやり取りが始まり、人となりが分かってきた。そして、もしかしたらこの人、おれのアジトからそう遠からぬところにお住まいなのではないか、ということは記事に掲載された写真から知れた。おれと生活圏がかなりダブっている。

 

また、強力な共通の嗜みがあった。酒と自転車である。その人はスポーツ自転車にはまり、寸暇を惜しんで自転車に乗るようになり、どんどん走行距離をのばし、悪路を走り、やがては峠越えを楽しみだした。

 

自分とは歳が近く、家族構成も似ており、長男と特に同じ中2の長女を持つ父親ということにも妙な親近感を持っている。

 

それに考え方も似ているのかもしれない。以前、ある女性の方から、彼とおれは同一人物じゃないかと思ってる、というメッセージを頂いて驚いたことがある。

 

このまま生活していれば、いずれ彼とは多摩川サイクリングロードかスーパーマーケットで鉢合わせすることになろう。そんな風に、緩慢に機が熟すのを待っていた。彼はおれの外見的特徴であるスキンヘッドと愛用のつば広のサファリハットと愛車である金剛号を知っている。

 

しかし、機は突然に巡って来た。ここは熟すのを待つのをやめて敏になるべきだ、とおれは悟った。

 

先々週の土曜日、おれは市営プールの開園日の開園時間に予約を入れたと記事を書いた。それに彼は即反応してほぼ同じ時間に予約を入れたと連絡をくれた。おれは彼の容姿を知らないが、50メートルプール付近でスキンヘッドの男を見ればすぐおれと分かるだろうと、あとで思えば甘い判断をした。

 

いつだったか、渋谷の待ち合わせ場所で、同じく待ち合わせ中の女子高校生がケイタイで誰かと連絡をとりあっていて、「ここ、ここ、今スキンヘッドの人の隣に立ってるから!」と目印にされたことがある。あの時はギョッとしたけど、それくらいスキンヘッドの存在感は強い。

 

駄菓子菓子、だがしかし、その日彼は現れなかった。おれも彼についての乏しい情報、55歳くらいで自転車乗りだからおそらく細身、そしてたしかおれよりうわずえはあったはず、を頼りにレーダーを張り巡らしたのだが、そういう人はたくさんいたし、直感力でテレパシーを飛ばしたのだが、おれのその能力はまだ未発達なのか、彼のフォースを感じることができなかった。

 

帰宅して、彼と連絡が取れたのだが、なんと彼はその時間その場所にいた。どこかでおそらくすれ違っていたはずだ。そんなに広い場所ではない。そして、彼に言われるまで不覚にも気が付かなかったのだが、その日50メートルプールには6人ものスキンヘッドがいたというのだ。そのうち、どうもこの人じゃないか、と思われる人がいて、ほとんど声をかけそうになったが、ためらったらしい。ただその人は色白だったそうで、すでに川遊びなどでかなり日焼けしているおれではなかっただろう。賢明な判断だったと言える。

 

そしてすぐに我々は一昨日の土曜日の同じ時間にプールに予約を入れたのだった。

 

🌼

 

予約した10時半に合わせて金剛号で家を出る。おそらく券売機で行列しているだろうから5分ほど時間をずらした。いつもの呑気なプール行とは、少なからず気分が違う。とうとう今日、まず間違いなく一年越しの友人に初めて会うのだ。剃ったのは4日前だから頭はセミスキン状態だが、問題なかろう。彼のざっとした風貌は聞いたから、おれの方から彼を見つけることもできる。

 

10時半に10分遅れてプールに着くと入場者の列はとっくにさばけていた。券売機に直行する。もうこの辺からどこで彼と会ってもおかしくない。神経を張り巡らせる。

 

 

すでに海パンをはいており、あとはタンクトップを脱いでメガネをゴーグルに付けかえればいつでも泳げる臨戦体制だ。50メートルプールにたどり着いて、プールサイドの空いていた赤い日焼け台にアプローチしようとしたその時、

 

Lotusさん?

 

やや小さな声が背後からした、気がした。おれは一瞬身を固めて、そして振り返った。

 

この人か!Cさんだ!

 

どう返事したか忘れた。ただ歩み寄ってガシリと握手した。

 

とうとう会えましたね!

 

落とした水滴がさーっと広がるように、感慨というものは湧くと同時にむくむくと膨らむものだ。とうとう会えた!

 

そこへ、あと5分で休憩時間に入ります、というアナウンス。まず暑いからプールに入りましょう、と2人して水に浸かる。

 

それから何を話しただろう。すぐにプールから上がって日焼け台で向き合って話す。思慮深そうな目で、おれの目を見て話をしてくれる。分量多めでオヤジギャグ満載の普段の記事の内容からして、いつもたくさんのことを考えている人だということは分かっているけれど、口にする時はその中から言葉を選んで話をするようで、穏やかな口ぶりであった。それに対して、おれはやや興奮して声がうわずっていたかもしれない。

 

プールに入って片道泳いで、プールの壁にもたれながら長々と話をする。記事やコメントから得た情報の確認や新知識。遊泳時間の50分があっという間に過ぎ、また休憩時間。

 

連絡先を交換しましょう、と言ってスマホを取り出す。しかしこんな時におれのスマホが異変を来した。画面が明るくならん!見えない!ロッカーにスマホをとりに行ったCさんを待ちながら、気絶したかのようなスマホを叩いて起こそうとするがダメだ。

 

スマホをカバーからはずすと、熱い!スマホがギンギンに熱くなってる。するとこんな表示が。

 

 

そう言われても待てんぞ!

しかし、こんな画面初めて見た。バッグには入れておいたのだが、真夏の太陽の日晒しにあって発熱したのだ。濡れた海パンにスマホの裏面を押し当てて強制水冷する。一時的に復活したが画面は薄ぼんやりしたままだ。

 

Cさんが帰ってきて、連絡先の交換方法がよくわからないおれの暗いスマホを器用に操作して、自分の連絡先を登録してくれた。

 

それぞれの自宅の大雑把な場所をきくと、お互いだいたいその辺だと思っていた通りだった。日本中、いや海外でも利用されているブログだ。それを通じて仲良くなった相手が、歩いてでも行けるところに住んでいる。歩いて通っている職場へ行くよりずっと近い。

 

ブログは使いようによっては毒にもなる。しかしこうして奇跡的な邂逅を引き起こすこともある。この歳になってこんな経緯で友人ができるなんて思ってもなかった。本当にこんなことがあるんだなあ、と今、現実に直面しているこの境遇に、目眩がするようである。

 

初めての人に会う。すると、それまでの文字だけのやり取りが2次元である平面だとすると、それはたちまち立体となって立ち上がる。顔つき、口ぶり、仕草などのちょっとしたさまざまな情報が集まるとそれは膨大な情報量になって自分の中に入ってくる。それは瞬く間にそれまでにはなかった親近感を呼ぶ。簡単に言えば、会えば分かる、ということだ。その逆も真なりと言える。

 

早速、酒を飲みましょうよ、と誘った。もうその日の夜でもいいくらいの意気込みだったが、一応初対面だし、いきなりあんまり不躾な態度もどうかと思って、来週にでも、と少し余裕を持った。互いに予定の確認をしてから連絡することになった。

 

Cさんとは2時間弱、プールで過ごした。今思うとあっという間に過ぎた。12時半に、帰る彼を見送った。

 

プールに残ったおれは泳いだり、休んだり。こんな時間にプールから上がっても暇だし暑いだけだしなと思い、帰る時間を見失って、結局閉園直前の16時半にようやくプールから上がった。ざっと計算したが、休みながらだが、多分通算3キロくらいはだらだらと泳いだ。

 

見事に日焼けした。

 

 

酒を飲んだら爆睡して、翌朝4時半に目が覚めた。

 

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森信三という哲学者はこんなことを言っている。

 

「人生で会うべき人には必ず会わされる。それも一瞬たりとも早すぎもせず、遅すぎもせず」