前にも一度書いたが、ウエストポーチを使うようになった。

 

一度使い始めて、これは便利だと思っていたのだが、どうもウエストポーチはダサいというイメージが払拭できないでいた。ウエストポーチに罪はなく、これを使う方に問題がある。おっさんがウエストポーチを使うとダサく見えるのだ。

 

出っ張ったりたるんだ腹にウエストポーチは似合わない。えてしてそういうおっさんは見た目に気を使わないから平気でポーチを使う。その図々しさが痛い。そう思って一度は使うのはやめたのだった。自分だって見た目は気にしないけれど、なんとなくウエストポーチだけは許せなかった。

 

しかし比較的最近、ズボンのお尻のポケットにスマホを入れていて落としたことが続いた。一度は座っていた電車から降りるとき、もう一度は酔っぱらって終電で乗り過ごし、歩いて帰宅中に座ったどこかに落とした。電車の時は自分も見ていた向いに座ったおばさんも気が付いて事なきを得たが、夜中に落としたときは気が付いてから探し回ったが見つからなかった。翌朝交番に行ったら、誰かが拾って届けてくれていて、大助かりした。

 

それ以来、スマホはお尻のポケットに入れないことに決めた。

 

では、どこに入れるか。

 

普段通勤時は小さな肩掛けカバンを使っているのだが、そこに携帯ラジオを入れて聞きながら歩いたり、自転車に乗ったりする。同じカバンにスマホを入れると、スマホの電磁波か何かがラジオの電波と干渉するのか、ラジオのチューニングがおかしくなる。自分にとって、ラジオは移動時の友だからこれは由々しき問題だ。

 

そこで白羽の矢が立ったのが、ウエストポーチだ。再登板である。ダサいのはしょうがない。スマホを落とすことを考えれば、ダサいことなんか考えている場合ではない、と割り切ることにした。以来、肩に肩掛けカバン、腰にウエストポーチといういで立ちに落ち着いた。

 

愛用しているのは中2の娘のおさがりの小型のポーチである。娘が小学生の時に何かの景品でもらったもので、「ALGY」とばっちりプリントされている。見る人が見ればわかるのだが、ALGYは小学生女子向けのトップブランドである。

 

 

それが見えるとさすがに恥ずかしいので、こうして町配りのティッシュをメッシュのポケットに入れてカバーしている。これならばれない。万全だ。ははは。

 

 

で、久しぶりにこのポーチをしようとしたら、なんと、きつくなっていた。これを以前愛用していたころから比べると、確実に5,6キロ体重が増えているから、腰回りも肥満したのだ。情けない気分でベルトの長さを調整する。久しぶりに会いたい人がいるのに、こんなことでは合わせる顔、じゃなくて、腹がない。

 

思い当たるのはしばらく前のこと。どうも腕時計に違和感があって少しバンドを緩めた。暑くなって腕も汗をかいて腕時計と肌が密着した違和感かと思っていたが、あれはつまり手首まで肥満したということだったのか。

 

使ってみればウエストポーチは確かに便利だ。両手が空く。リュックのように肩に負担がかからないし、なにより人体の放熱板ともいえる背中を覆わない。夏にはピッタリである。

 

スマホを入れたウエストポーチは常につけている。というのもスマホの万歩計アプリを使っているからだ。徒歩通勤のほかにも結構職場で歩いているのだが、仕事中はスマホは机の上に置いていた。ポーチに入れて常にスマホを携帯しておけば気が付かないうちの歩数を稼げることに気が付いたのだ。デスクワークの時も、トイレに行くときも、昼休みもつけっぱなし。なんだか職場で相当ウエストポーチが気に入っているおじさん、と見られている気もするが、それも割り切る。歩いて歩いて肥満解消だ。

 

こうして愛用してみると、じつはおっさんこそがウエストポーチを使うのに適した種族のような気さえしてきた。汗をかきやすい体質の人が多いおっさん族には背中を覆うリュックよりポーチだ。そうだろう、なあ、みんな!

 

ただ一言言っておきたい。若者でもウエストポーチを肩から斜めにかけるのは格好悪いと思う。肩から掛けるのなら初めから肩掛けカバンでよい。ウエストポーチは腰にばっちり締めたいものだ。

 

そもそもそういう頑固な発想がダサいのだろうか。

 

今日の蓮。

 

美中紅。

 

やや大ぶりで、濃い紅。ゴージャスな印象。自分が美人と分かっている貴婦人のよう。