桜が咲くころに植え替える。

 

それが蓮の花を夏に咲かせるための準備である。

 

碧翠蓮という手乗り蓮を蓮根を買って栽培を始めた数年はそれを墨守していて、植えて3年後だったか、ようやく咲いたときはなかなかの感動であった。奇遇にも碧翠とは娘と姪の名前に使われた一文字ずつである。

 

それがすっかり怠け者になってしまい、桜の花が咲くころというのは微妙にまだ寒くて、蓮の植わった鉢の泥に手を突っ込むのが億劫になってしまってここ数年はほったらかしである。

 

今日の蓮。

碧翠蓮。

 



今年も怠けた。

 

葉っぱが生えてきたときは、植え替えしなくてももしかしたら咲くかも、なんて幻想を抱いたりしたが、無残にも雑草まで生えてきてしまって、咲くかどうかよりも蓮根が無事かを案ずる方が先といった感じだ。

 

今朝も徒歩通勤。

 

改めて、今朝の蓮。

 

嘉祥蓮。





やや小ぶりの一重。花弁の縁の紅がほんのり濃い。爪紅という。

 

一輪一輪が唯我独尊に咲く蓮に満開という表現は適切ではないと思うけれど、一斉に咲いた知里の曙。

 



水の動きと合わせてみるとなお生き生きとした感じがする。



天上感あふれちゃってる。





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先週末、近所のホームセンターへ行った。

帰ろうとして車をゆっくり走らせ始めたら、前方から小さな車がこっちに向かってゆるゆると走ってきた。逆走である。

 

このままではぶつかるなー、と思って左に寄る。すれ違えなくもない道幅だったのでその場で止まってやり過ごす。逆走ですよ、と声をかけようかと思ったが、逆走車を運転していたのはかなり年配の男性で結構なスピードをあげてすれ違って行ってしまった。あの後大丈夫だったろうか。

 

一方通行という決まりがあるので逆走という現象が起きる。道路工事の現場などでは片側交互通行という工夫もある。

 

🌻

 

通信にも歴史的に有名なものがある。

 

「来た、見た、勝った」はカエサルがローマに送った通信だ。

 

ビクトル・ユーゴーが「レ・ミゼラブル」の売れ行きが気になって出版社に出した手紙は「?」の一文字。これに対する出版社からの返事が「!」の一文字だったのも有名な話。

 

🌻

 

1941年12月8日。

帝国海軍連合艦隊はハワイの真珠湾に奇襲攻撃を仕掛けた。

 

真珠湾を実際に奇襲したのは第一航空艦隊を中心とする機動部隊であった。連合艦隊司令長官が乗った、いわば連合艦隊本部である戦艦長門は岩国沖に停泊していてこの奇襲に参加していたわけではない。

 

この作戦は奇襲でなくてはならなかった。奇襲でなければ勝ち目はなかったのだ。まともに名乗りあって戦って勝てる相手ではないと作戦立案者である連合艦隊司令長官はよくわかっていた。であるから宣戦布告も奇襲直前に行われた(奇襲よりも宣戦布告の方が後だったという大論争もある)。

 

奇襲攻撃であるから、機動部隊の動きは隠密であった。機動部隊という大艦隊が列をなしてハワイへ向かっているとアメリカにばれてはいけないわけだ。そのため、わざわざ択捉島経由の大遠回りをしたし、日本から出航した11月18日から機動部隊の各艦には厳重な「無線封止」も実施された。当時は発信される無線を傍聴することによって敵の位置情報を得ていたので、隠密行動をとる艦隊は無線の発信をやめることに決められたのだった。

 

通信の一方通行である。連合艦隊本部からの通信は、もちろん暗号文だが、機動部隊には届く。しかし機動部隊からは発信できない。敵地に向かいつつある機動部隊にはいろいろ不安もあっただろし、司令部に問い合わせたいこともあったに違いない。大艦隊とはいえ、それはとても長くて孤独な航海だっただろう。耳は使えても口は使えない。聞くことはできるけれど、話すことは許されない。しかしそれにはそれだけの理由がある。

 

そして12月2日の朝5時半、岩国沖から有名な電文が発せられた。「ニイタカヤマノボレ ヒトフタマルハチ(一二〇ハチ」。12月8日に攻撃開始せよ、という暗号文だ。これを聞いたときの機動部隊隊長の気持ちはどんなだっただろう。

 

それに続いた「全員攻撃セヨ」という意味の「トトトトト」というトの連打や、「我奇襲ニ成功セリ」の意味の「トラトラトラ」あたりも有名な通信文かもしれない。

 

なぜ追撃しなかったかなどの今となってはの論点は残っているが、真珠湾攻撃は一応の成功を収めた。

 

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通信文ではないけれど、「勝って兜の緒を締めよ」は滅多に勝つことがないおれでも、時々頭をよぎる名言だ。これはその一つ前の戦争の後に東郷元帥が言った言葉かと思っていたが、これは元帥のオリジナルではなかった。戦国時代の武将、北条氏康の父、氏綱の遺言だったそうだ。それを知っていて適切なタイミングで使った東郷さんの教養はさすがだ。おれも知ったかぶりしちゃいけないな。滅多に勝てなくても、兜の緒はいつもちゃんと締めておくように心がけないといけないようだ。