自分が小学生一年生のある寒い日の朝、父が倒れた。


心筋梗塞だった。


わけもわからぬうちに一歳だった弟を背中にくくりつけられて、姉と並んで救急車に乗った父と母を見送った。


父はずいぶん長いこと入院していた。見舞いに行った病室からは隣の高校のグランドが見下ろせて、父はこの間ホームランを打った生徒がいたんだよ、と言った。どうでもいいそんな言葉をなぜか覚えている。


肥満体だった父は退院してきたらとてもやせていた。その後も当分は自宅で療養していたと思う。毎朝、父がトーストに塗るローカロリーのマーガリンはとても不味そうに見えた。それまで吸っていたチェリーというタバコもやめていた。


自分はほどなく小学生三年になると、四年生から入れる野球チームに無理矢理入れてもらって、日曜日は野球漬けで、一日中外で過ごしていた。それは中学生になって剣道部に入っても同じだった。


今になって時々ふと、父はどういう日曜日を過ごしていたのだろうと思うことがある。母と一緒に父が社交ダンスに熱を入れ始めたのは、たしか自分が大学生になった頃だから、それまで趣味の少なかった父は休みの日をどう過ごしていたのだろう。


こどもの頃、なぜかポカンとあいた日曜日に家で過ごすと、昼に父は好物のざるそばをよく食べていた。それくらいしか日曜日の父の姿は思い出せない。


今でも休みの日にはぶらりと自転車や散歩で家を出てしまう自分だが、こどもたちは自分が何をしてるのか知らない。行った先々の山や川や寺の写真を見せて話をしていた頃もあったけれど、今ではもうそんなこともない。


息子が自分の歳になった頃、自分があの頃何をしていたんだろう、と思うことはないような気がする。もしそう思われたとしても、何の変哲もない、退屈するような時間の堆積でしかないわけで。きっと父も同じような時間をただ積み上げていたんじゃないかと思う。


ゴールデンウィークの最終日。出先で突然の雨に打たれて車でいつもより早く帰宅しながら、書いてもどうしようもないこんなことをまた考えていた。書いたらそれでおしまいにできるような小さな過去への気がかり。男児にとって父親というのはそんな程度の存在でちょうどいいような気はしている。