金曜日の夕方、健診結果を見てもらいにかかりつけのクリニックへ。


まずは挨拶代わりのように血圧を測られる。上が102だった。いつもこんなものですか、と聞かれて滅多に測らないけど、測ったらこんなものです、と答える。


はー、こっちはちょっと上がっちゃったねー。と医師はガンマのところを指さした。一昨年の1499から去年69に急降下し、今年は155だった。基準値を余裕でオーバーしている。


それよりも、と医師は健診票を裏返した。ガンマはそれでおしまいか、とツッコミたくなる。多分、医師もおれのガンマ値には麻痺している。


これが気になる、と異常が出ている心電図を指す。早速その場で人差し指にクリップのような測定器がつけられた。あーやっぱり出てるね、心電図とりましょう、と別室へ誘導される。Tシャツを脱いだら、看護師に全部脱がなくてもいいですよ、と言われる。確か健診でも同じことをして同じことを言われた。健診と同様の測定をされた。


その心電図のグラフを見る医師の顔は厳しかった。曲線が書かれたような特殊な定規をグラフ線に合わせてここが長いとか説明する。よくわからないのであとは帯同した家内に聞いてもらう。


いわゆる不整脈だ。


不整脈か。名前くらいは聞いたことがある。大したことなかろう。


だが、医師と家内の話を聞いていると、案外深刻な病気のようだ。そして驚いたのは、10月に八王子で転倒してアスファルトで顔面強打したのは脳梗塞ではなくて不整脈が原因だったかもしれないということだった。


その事故のすぐあとに脳は精密検査して異常無しだった。


不整脈で倒れることがあるんですか?ありますとも。


山縣有ます朋。そういうことを思いついてる場合ではない。


医師は言った。一度心臓を精密検査をすることを強くお勧めします。


来週には海外出張へ行くことを言うと、それは逆に勧められないなあ、と言って医師は頭の後ろで手を組んだ。もしこれが本当に悪い不整脈なら八王子で起きたことがどこで起きてもおかしくないからねえ。向こうとか飛行機の中であんなことになったら大変だよ、酒も控えた方がいい、という。


でも出張先のサウジでは酒は飲めませんので、抵抗するが、多分帰りにタイで飲むはずです、と家内が余計なことを言う。心の中で、余計なことを言うんじゃない!それに多分じゃなくて絶対、だと呪う。同じ病院に勤務していたことがある医師と家内はツーカーである。


不整脈はどこで出てもおかしくない。八王子の時みたいに歩いている時かもしれないし、自転車に乗ってる時かもしれない。


そう聞くと、家族乗せて車の運転もできないし、いや、車の運転自体がもうダメだと思い至る。


でも、八王子のことを思い出すと意識を失うこと自体は痛くもないし、苦痛ではない。死ぬ時はああやって痛くもなんともなく死ぬのだな、それは悪くない、と本気で思った。


でも海外でそうなったら本人はいいが、家族は大変だ。出張も命を賭して行くほどか。ましてや後半の1/3は遊びではないか。


航空券もホテルも格安サイトで手配したから、多分キャンセル料は全部100%かかるだろう。数十万が無駄になる、とせこく考える。でも命にはかえられないしな。どうすっか。海外旅行保険は一番安いプランに入ったけど、最悪想定して一番高いプランに乗り換えとくか。なんとなく出張したらあっちで死ぬ、というストーリーが確固としてきてるのがこわい。


出張は少なくとも精密検査の結果をみてからお決めになったらいかがでしょう、と言われた。その精密検査は脳を調べてもらったあの病院なら土曜日の明日でもやっている。すぐ紹介状書くから明日行きなさい、と医師は締め括った。あと、血圧の薬は効きすぎてるから半分にした処方箋書いときますから。それを聞いて診察室を出た。あしたの土曜日の休み、つぶれるな。


今朝。開院前の総合病院に紹介状を持ったおれはいた。朝の病院は混む。そんなことはなかった。一人で走る徒競走でフライングしたような恥ずかしさ。家内はすでに仕事に出たので今日はソロだ。


まず採血。やっぱやるのか。ガンマ上がってるだろな。

検尿はなかった。あるかと思って少し我慢してきたのに。休むまもなく心電図。尿意を我慢していることが心臓機能に悪影響を与え、心電図やエコーに悪い結果を出さないか心配したが、トイレへ行く暇がなかった。すぐエコーへ。


そこから診察までが長かった。ゆったりとトイレを済ます。院内を散歩する。日本一小さいんじゃないかと思えるコンビニがあった。普通のコンビニが馬なら、この店はポニーのこどもみたいだ。


ようやく呼ばれて入った診察室には、若い、よく日に焼けた、髪を刈り上げて引き締まった体をした男性医師が待っていた。頭の回転が早そうだったが、口の回転も早かった。


確かに不整脈ではあります。しかし、良性のものであり、クリニックの医師が心配したものとは違います。


あります。不整脈にも良性も悪性も。


出張?どちらへ?まあそれは遠くまで。心配ありません、というか医者としては止める理由がありませんよ、と快活そうに笑った。


10月に倒れたことを話すと、おれのカルテ一式を読み込んで、脳の方は全く正常の診断が出てますね。で、不整脈は良性だ。はあ、その日20キロも歩いた?脱水気味で。それは平たく言えば失神ですね、よくドラマとかでショッキングな話を聞いてか弱い女性がヘナヘナと倒れるやつ、あれと同じですよ、とはっきり言った。


おれが体験したあれは脳梗塞でもなく不整脈でもなく、失神か。立った女性ならヘナヘナするところ、歩いていたおれはそのまま地面に棒倒しのように突っ込んだわけだ。痛かったけど今となっては笑える。


おれは脳梗塞でもなく、不整脈は良性だった。騒いだ挙句、なんてことはなかった。昨日のクリニックでの話はなんだったのか。まさか医師と家内が仕組んだドッキリだったのか。コーラみたいな色の尿が出て腎臓ガンと思い込み、尿路結石との診断に、か弱い女性のようにヘナヘナと脱力した時と似た感情を覚えた。


でも不整脈は不整脈なので出張から帰ったら24時間心電図検査をやりましょう。と若い医師は言った。家内が言ってたやつか。薬?出す薬はないです。では来月検査に来て下さい。


診察室を出ようとしたら呼び止められた。血液検査の結果、お持ち下さいと紙を差し出された。ガンマ、気をつけて下さい、上がってますよ。255。大丈夫です、サウジは禁酒なんでガンマ下げて帰りますから、と言っておれもようやく笑った。


すでに帰宅していた家内に報告する。家事をしながら、はあ、はあ、と気のない相槌を打って聞く家内。なんかもうちょっと喜んでくれてもいいと思うんだけど。むしろ何か残念感かもし出してないか?これこそ、災い転じて鈴木福ってやつだろう。もっと喜んでくれよ。


結局、終わってみれば血圧降下剤の量が減っただけ、というむしろ好結果だった。


なんだかなあ、というか、とほほ、というか。


でも、ありがたいことには変わりない。午後はすっかり暇になってしまった。またそれもありがたいと思うべきだろう。多分、世の中には自分が思っている以上のたくさんの病人がいる。