ある武道を習っている。


50歳になる直前に入門した。


週に一、ニ日稽古に通う。だが最近はだらけて一日だけになった。


入門してすぐに一級審査を受けた。入門したのはいいが、審査があることは頭になく、受けることになって緊張することになった。ハンパなく緊張した。他の道場の高段者の先生方に自分の技量を判定してもらう。


その半年後に初段、それから一年後に二段、さらに二年修行して三段と審査を経験した。その度に極度の緊張に襲われる。シーンと静まった大ホールで審査は行われる。基本的に音は立てないので、ホールにひびくのは審判の、はじめ、と、退場、の二言だけだ。掛け声も拍手もない。


東京武道館の大ホール。三段に昇段してから三年間修行しなければ四段の受験はできない。三段になって、これでしばらく審査はないや、と油断しているうちにするすると三年は過ぎた。


これまでは審査の十日前くらいから審査のことを思い出すと緊張感に苛まれた。それが今年は健康診断や母の病気、その他色々と気に病むことが重なって審査のことを思い出す瞬間が少なく、いつのまにか3月16日の審査を迎えた。


さすがに前夜は審査のことで頭がいっぱいになった。この三年間の修行の成果が審査される。酒を飲みつつも口は重くなり、食卓全体が重苦しい雰囲気に包まれる。当然、家族も翌日に何があるかは心得ている。


三段までは合格率は90%ぐらいあり、まず大失敗しなければ落ちることはないだろうと、どこかに、なんとかなるんじゃないか感、はあったが、四段はそれが一気に50%を切る、とは聞いていた。半分は落ちる。


そんなことを思いながら、ドナドナのような気分で電車に揺られて綾瀬の東京武道館へ向かう。これがまた遠い。



三段までは受験者も多く、大ホールを二つの会場に分けて審査が行われていたが、四段は広いホールにポツンと一会場のみ。受験生は若い順に四人ずつ審査を受ける。受験生四人に対し、審判は六人であった。


着替えて、柔軟体操をしたり、精神統一をしたりする。


開会式のあと、早速審査が始まった。順に並んで自分の番を待つ。若い人は覚えも早いし、部活などで鍛えた稽古量も豊富だし、勢いも切れもあってうまい。


それがだんだん自分の番が近くなり、歳かさがましてくると腕が落ちてくる。おれもその一人だ。緊張は極度に近づき、中には肩を小刻みに震わせてる受験者もいた。


もうこうなりゃ半分ヤケだ、火事場のバカ力じゃ、と開き直ろうとするもその境地にも至れず自分の番を迎えた。


その後の記憶はほとんどない。いつの間にか終わって放心状態の自分がいた。


大失敗はなかった、と思う。しかし薄い記憶を辿って一つ一つの動作を鑑みるにどうも色々やばいことがあった気がする。そわそわしながら結果発表を待つ。


予定時間になっても結果が出ない。これで落ちてたらどこをどう修正して再受験すればいいのか考え出す。


館内の遠くの掲示板にさっと人が集まり出すのが見えた。結果発表に違いない。脚は重いが掲示板へ向かう。



あった。


うれしいというよりほっとした。脱力。すごい疲労感。


まず何より真っ先に先生へ報告。とても喜んでくれた。ほぼ全て先生のおかげと言ってもいい。


会場の外に出てこの道を知る友にLINEを飛ばす。


週に一度の稽古に通わせくれた家内にも感謝だ。電話をしても出ないのでメールを送っておく。


合格者は半分くらいか。やっぱ若い人の方が合格率高めか。


審査のあとは最寄りの綾瀬駅を通り抜けてしばらく歩く。三段の時は池袋まで歩いた。


昨日は四段審査の時間が遅かったのであまり散歩せず。


とりあえず、祝杯をあげるか。飯も朝昼抜いたこともありぺこぺこだった。しかしラーメンでも食うか、と思うが、胃が受け付けない気がした。


しかし、この歳になってこんなに緊張することは他にない。考えてみればそういう場を得られたことはありがたいことだ。終わったから言えるが。


スーパーを見つける。最安の缶チューハイではなく、大好きな梅にした。肴はあぶったイカでいいのだが、なかったので揚げたゲソにした。味がついてなかった。



すでに日が傾きつつあった。


帰宅して、猫たちを集めて、受かったよ、と報告した。