人にはもって生まれたもの、というものがある。

 

性格、体質、得意不得意、好き嫌い、長所短所、などなど。

 

伸ばしたいものは伸ばしたいし、直したいものは直せるものなら直したい。

 

どう努力しても直せないものもある。典型的なものは身長だ。もうちょっと背が高ければな、と思うことがあるけれどこれはどうしようもない。

 

一方、努力すればなんとかなることもある。

 

こんな話がある。

 

高校に入って知り合ったクラスメイトと時期を同じくしてギターを始めた。ギターに手を出すのはこの歳頃のはしかみたいなものだ。

 

自分は早々にその才能がないことに気がついた。まずチューニングができない。5弦をAに合わせてそれを元に4弦、3弦と合わせていく。6弦まで合わせて5弦に戻るとなぜかAからはずれている。無限チューニング地獄に陥るのだ。その点、今はチューニングアプリがあるのでその苦労はない。

 

このクラスメイトだが、おれよりさらにセンスがないなとすぐに分かった。指使いからして何か変だ。二人してチューニングがめちゃくちゃなギターに悪戦苦闘していた。人並みにFコードでつまずいた自分はさっさとベースに転向した。単純に6弦より4弦の方が楽だろうし、ベースはほとんど単音だ。

 

高校を卒業して彼とは疎遠になって、そして何年何年もしてから、風の噂よりかなり確かな情報で彼がプロのベーシストとしてアメリカで活躍していると知った。

 

ベースに転向したまでは同じだったのか。しかしあいつはその後どれほどの努力をしたのだろう。それこそ血の滲むような毎日だったろう。うらやむより心底感心した。なせばなる努力もあるのだ。

 

努力しても伸びない身長。

努力すれば弾けるようになる楽器。

 

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3ヶ月の書道教室の最終日。一つ作品を仕上げて、名前を入れて、落款印を押して、簡素なものだが台紙に飾る。

 

自分は新入りなのでまだ落款印を持っていなかった。最終日には先生から落款印を作って頂けると聞いて嬉しくなった。簡単なゴム印で、10分もあれば作れるらしい。

 

自分の名前から1文字選んで印にする。漢字でもいいし、ひらがなでも構わない。

 

自分の名前は父がつけた漢字2文字だが、嫌いな名前ではないが画数が多く、角ばってごちゃごちゃしており、2文字並んでしかめっ面しているようにも見える。

 

自分の名前は自分でつけるものではないし、選べるものでもない。それでいて、名前は体を示すなどと言われる。名前も努力して直せるものではない方に分類されるべきか。

 

そんなことを言うと、生まれてきたこと自体、自分が希望したことでもなかったし、と考えてしまい、思考に収拾がつかなくなりそうなので、深く考えるのはやめた。

 

書道家としてだけでなく、刻字の作家としても名の知られた先生に落款印を作って頂くのはとても楽しみではあったが、自分の名前のどっちの字を選んでも、風雅ではなくかしこまった、頑固なおっさんを象徴するような、おもしろみのないものができそうである。

 

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ふと考えた。

 

自分の名前は自分でつけるものではないし、選べるものでもない。

 

それは本当か。

 

例えばペンネームを普通に使っている作家は多いし、ガッツ石松とかジャイアント馬場みたいにリングネームを名乗る格闘家もいる。四股名だったら従前から大横綱玉錦にあやかって多摩錦を用意してあった。使うことはなかったが。それにブログ用にLotusなんて名前をすでに使ってるじゃないか。プロでなくても、名前を直すのではなく、もう一つ追加して持ってもいいのではないか。

 

雅号。それは我ながらとても魅力的な発案といえた。

 

かしこまった本名とは別の、いわば雅号を持ってもいいではないか。それを先生に言うのは少し恥ずかしくもあったが、雅号を持つには千載一遇の機会ではないか。

 

その雅号ならすぐに思いついた。娘が生まれた時に名づけようかと考えた名前である。家内のやんごとなき祖母から滅多に使えない一文字をもらう。その名前を娘につけなかったのは女の子を待ち望んだ家内がゲキ推しの別の名前があったし、季節的にもそぐわなかった。

 

女性的な名前だろうと思う。先生からは女性みたいに繊細な字を書く、と言われたこともあったし、あくまでも雅号だ。あそびだ。女心を歌わせたら天下一品の男性演歌歌手だっているではないか。あまり関係ないか。

 

その名前を手帳に書いて書道教室最終日に持って行くことにした。

 

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落款印はペンネームみたいな名前でもいいですか?と先生に思い切って尋ねてみると、先生は少し驚いたような顔をしたけれど、案外気安く請け合っていただけた。

 

手帳に書いた二文字を見せると、ろくはな、と言うのかしら、と言われたので、これで、りっか、と読みます、と恥ずかしながら答えた。この文字の方を落款印にしたいです、と図々しくもお願いした。この文字も画数は多いが、優雅ではある。

 

先生は漢字辞典アプリを紐解いて、色々ある書体からどれにするかお考えになった。篆書にしましょうか、とおっしゃった。

 

 

先生が落款印を作ってくださる間に、作品にたった今決めた自分の雅号を書き入れる。そして出来立ての落款印を捺して頂く。

 

 

六華 可久(書く)  落款印

 

雅号は六華である。落款印は華という文字にした。

 

六華。結晶が六角形である雪の異称だ。

 

好きな色は白。好きな花は純白の真如蓮。大好きな真っ白い雪。すべての生命の源である水が氷結した結晶。13年前の4月に思いついた名前。自分の誕生日は7月の大暑の日なので全然そぐわないけど、かえってそれはふざけているようでもあり、へそ曲がりの自分にふさわしくさえ思える。

 

蓬莱切、賀歌五首のうちの一つを手本にした。

 

 

臨書作品

 

朱が一点入るだけで少しマシに見える。

 

そして、今日からおれは六華だ。

 

そう思うと、あそびだけど、思っていた以上に気分が上がった。