何を始めるのにも早すぎることはないし、遅すぎることもない。

 

遅すぎることはない、という模範例が伊能忠敬だろう。50歳にして現在価値なら35億円といわれる事業を譲り、19歳下の学者に弟子入りして暦法・天文学を学び始め、56歳にして全国測量の旅に出た。その後、日本地図作成という国家的大事業をほぼ単独でなしたことについては語るまでもない。一度生まれて二度の人生を生きたと言われる。

 

伊能翁を前にしたら何をするにも、もうおれは年だから、などと言ってはいられない。一般的に江戸時代の50歳は現在の60歳以上に当たるだろう。もっと上かもしれないな。

 

新しいことを始めると確かに発見がある。

 

水泳と同時に書道を始めたのは半年前だ。小学校を卒業するまで近所の書道塾に通っていた。筆を持つのはそれ以来である。書くのはやめたが見るのは好きで、名蹟の写真本を眺めることはあった。

 

ほぼ初めて行書と草書を習った。これが結構おもしろかった。

 

王羲之の十七帖を臨書。

 

 

そして今年になって、かな、を初めて習うことにした。かな、といっても平仮名に加えて、漢字を崩した変体仮名という文字が多用される。連綿といって、和歌など文字をつなぐように書く。講義の後に実際に書いてみる。

 

かなは難しい。まずなんて書いてあるのか読めない。書く上では気持ちが途切れないように見えない線も意識しないといけないし、ただまっすぐ書くのではなく、リズムのようにアクセントや配置や空間も考えないといけない。

 

とっつきにくかったのだが、書いてみるとだんだん面白くなってきた。手本を見ないでも書いてる文字配列が頭に入って、あたかも自分がこの和歌を作ったつもりで書く。いい気なもんだ。

 

蓬莱切。

 

 

めづらしき ちよのねの(農)

日のためしに(尓)は ま(万)づ

け(遣)ふをこそ ひくべか(可)り(利)

け(介)れ(禮)

 

新しいことを始めると新しい知識が身に付くだけではない。もしかしたらそれより重要ではないかと思うのだが、ちょっとした新しい自分を見つけることがある。かな、を書いておもしろがっている自分、習った泳ぎ方を繰り返して工夫することを楽しんでいる自分。

 

伊能翁も世のためと思って事業をなした、というより、全国を測量して回って地図を作成していく自分が楽しくて仕方がなかったのではないだろうか、と邪推しておく。

 

🌻

 

新しいことを始めることが新しい自分を見つけるためのプラスの取り組みだとしたら、普段当たり前にしていることをやめてみることはマイナスな取り組みといえるかもしれない。否定的な意味ではない。

 

ひと月後に迫る健康診断をきっかけに、当たり前に毎日飲む酒をやめてみる。そしてもっと究極的にやめるとしたら、食べることだった。むしろプラスよりもマイナスの取り組みの方が自分の中に新しい何かが見つかることが多い気がした。

 

断酒すると酒を飲む楽しさが余計にわかる。飲みたいなと思いつつも酒を飲まないよさも同時に実感する自分をおもしろがっている。別に飲まなくたってなんともないけれど、飲んだら飲んだで楽しかろう。そううそぶきながら、寝付けなくて苦悶する自分を半ばマゾ的に俯瞰する自分。

 

断食するとある一定のところで空腹感は定常してあまり苦にならなくなる。食べることのありがたさが分かる一方、食性も変わる。厚揚げがこんなにうまいものとは知りもしなった。そう本気で目覚めて食卓にそれが上らないと機嫌が悪くなる自分。断酒も断食もどちらも体から毒を抜く。寝汗に痒みに下痢で、それを乗り越えたら快眠の日々。デトックス効果は日々ありありと分かる。

 

そして、ここで我ながら天邪鬼の天稟を発揮するのだが、断食も断酒も続けないからこそ価値がある。飲む楽しみ、食べるありがたさが身に染みてわかったら、飲酒・爆食を復活するのだ。

 

求道者のように自分を追い詰めることができる性質ではないから、何もかも断じるのは、もうこのへんでよか、という時期が来る。というか、断食は五日間、断酒は健診までと決めていた。

 

断ブログ。書くことは気分的な毒吐き、つまりデトックス行為でもあったことに気がつく。なんか溜まってる気がする。であれば健診前に久しぶりに駄文でも書いてみようかと思っていたら、一足先に天使が舞い降りていた、、、

 

ひと月の断酒の決心も、振り返ってみれば飲まなかったり飲んだりで、日ごとで勝敗をつけるとしたら厳しく見て20勝10敗くらいだったか。準備不足で健診を迎えた、というのが正直な気持ちだ。一度断食で落ちた体重は復活し、このまま計量に向かうことになる。目標の60キロは切っておきたかったのが悔やまれる。ドンキの500グラム入りのミックスナッツは食べ始めたら止まらない。激うま。採集時代の縄文人のDNAが吠えながら目覚める。これだけであっさり一日に1500kCal摂取。体重下がるはずないか。

 

 

 

しかし精神的にも身体的にも自己矛盾を自覚する人間には、ある程度の毒と課題を抱えておく方がむしろ健全である気もする。一種の免疫だろうか。

 

この調子で明日健診。