久しぶりに友達から連絡があって、写経するよ、という。おれだって写経やってみようか、というこっちの声を聞かないで電話は切れてしまった。一方的に話をされた。そういえば1本目の親知らずを抜いた時もそうだった。抜いたぞ、と連絡するつもりが一方的に話されて連絡が切れた。

 

さて、写経といえば一般的には般若心経を書き写すことを言う。般若心経はお経のエッセンスの様に短くて濃いと言われる。その内容はおれもよく分かっていない。一度川崎大師の写経会というのに参加したことがある。確か参加費は1000円で道具一式は用意されているから手ぶらで参加できる。参加してみて分かったのだが、皆さん写経に慣れているようで書くのが早くてうまい。写経が終わった人が一人二人と大きな部屋から退席される。この分ではおれが一人で残り勉強させられてる小僧みたいになる!と焦ったことを思い出す。

 

さらに、書き終わって写経を提出するとき、皆様いくばくかのお気持ちを一緒に出されるのだった。おれは川崎大師で、信者会館の大広間で写経できて1000円は安いと思っていたのだが、予想外の出費が待っていたわけだ。しかもそうと分かって財布を見たら適当な千円札も硬貨もなく、罰当たりにもお気持ち無しを敢行してしまったのだった。財布と気持ちには余裕が必要だと悟った次第である。

 

それから一時取り組んでやめてしまった写経もあった。

アウトドア写経。散歩中に見かけた看板などから般若心経に使われている字を見つけて集めるというものだ。みうらじゅん氏が考案し完成させて本にしている。おれオリジナルの企画ではない。結局途中でやめてしまった。再開するかな。やっていた時は愉しかった。できるだけ手書きの看板文字を探し、写真に収める。だが決して街中などでは見つけられないであろう難しい字もある。みうら氏の満願には頭が下がる。

 

川崎大師の写経会は一度体験すればもういいと思うし、アウトドア般若心経をやる気力もわかない。でも確か写経用紙は自宅にあったし、書道教室に通い出したからその他道具は一式そろっている。

 

また思い出した。10年も前に京都の広隆寺へ弥勒菩薩像を見に行った時のことだ。そこで売られていた伝空海筆の破体心経という般若心経を買ったのだった。空海ならではの破体文字。でも写真を見ると御真筆と書いてある。

 

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自分で木箱を作り、100円ショップのケースに収め、大事にしていた。今も自室にあるが、秘仏のように今はほとんど開けてみることはなくなった。

 

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久しぶりに写経してみるか。