あとがき
さて、こちらは神話編のあとがきとなります。
今まで分かったことを、人類の歴史を交えて物語化してみましたがいかがだったでしょうか。
そういえば最初に「人間とは何か」という哲学的な命題にお答えしたいといったことを書いていたように思いますので、一応答えておきたいと思います。
「人間とは知能を持った猿である。」
と、なります。
なんのことはない、タイトルそのままでした。
そもそも、人間とはどこそこの神様に作らてとか言い出すと、途端に話がややこしくなってしまうのです。
「あなたの神はそうかもしれんが、私の神は違うぞ。もう、口もきかん!」
などと言ってしまうと、意思疎通が全くできなくなってしまうわけです。
とすると、人間とは何かという命題には、個別の神様とは違うところで話さなければならないとなるのです。
では、どうするのかというと、1+1=2だから、2+2=4ですね、と理論立てて話すしかないのです。
人間は猿の子孫ですよね。人間と猿の違いは知能が有るか無いかですよね。知能が有っても、トカゲやカエルの子孫では子育てをしないから文明は発達せず。知能なんて意味がないですよね。猿であることに意味があるのは、子育てをして知識を次の世代に伝えるからですよね。子育てをして次の世代に知識を伝えるためには何が必要ですか?・・・母の愛、家族の愛、周りの人達の愛ですよね。では愛は普遍ですか、愛に必要なものはありませんか?・・・道徳を守らない家族や、周りの人たちとの間には愛は生まれませんよね。では道徳はいつの時代も必ず存在するものですか。道徳に必要なものはないですか?・・・物質的豊かさがなければ道徳は崩壊しますよね。だったら物質的豊かさはどうやって生み出しますか?・・・知能によって生み出されますよね。では人間の知能とは何のために存在しているのですか?・・・猿から引き継いだ、子に対する愛や、人々の関係を良好に保つための道徳を守るためとなるのです。
私達人間の生存や生きている意味というものは、親から子へ、子から孫へ、伝えられた知識や価値によって生み出されているものなのです。ですから、私達の幸福というものは、子孫に知識を引き継ぐという行為が、そのまま幸福となっていなければいけないのです。どういうことかというと、家族を持ち子育てをすることが、幸福ではないとすると。子育てなんか面倒だししたくない、と多くの人々が思ってしまうと人口がどんどん減って、その文明は滅んでしまうわけです。ですから、社会の原理として家族を持つこと、子育てをすることは。公的な幸福として、社会の中で定義されていなければいけないということなのです。少し言い方を変えると。家族を持つこと、子育てをすることを、私的な個人の幸せとして受け止めてはいけないということです。家族を持つこと、子育てをすることは、文明の維持や発展のため、必ず必要な事柄になりますので。社会全体の公的な幸福として、家族を持つこと、子育てをすることを、助けて支援しなければいけないということなのです。
これらのことから、私達の幸福というものは、子を持ち、家族を持ち、互いを助け合うことが、人間の最も重要な幸福だといえるのです。
あと、はじまりの神様についてですが。
理論を組む場合には必ず前提が必要になります。このため私達の世界を理論的に語るためには前提が必要となります。この前提というものは空想上のものではいけません。空想上のものでは、好き勝手に前提が書き換えられてしまうため、そこから導き出される答えも千差万別になってしまい迷走することになってしまうからです。ですから前提は、私達の世界の物質的な事象を元にしなければならないということです。当たり前のことですが、私達は物質世界の中で生物として生きているわけですから、物質世界の束縛からは逃れることはできないのです。ということは、はじまりの神様というのは、物事のはじまりを決めている神様ですから、理論における前提を決めている神様というわけです。
なぜ私達が存在しているのか?なぜ私達が子を持つのか?なぜ私達が猿の子孫なのか?
こんなことは人知を超えたことになりますので。人知を超えたことについては、神様がお決めになったこととするというのが、私達の世界の習わしとなっていますので。このブログでも物事の前提をお決めになっているのは神様として、「はじまりの神様」と名乗って頂きご登場してもらったというわけです。
それと、学者の「陶芸家の師匠と弟子」の話についてですが。物語の中の説明でしたので余り詳しくは書けませんでしたので、少し補足を書いておきたいと思います。
あの話は、製造業の製品についての話に終始していて、メーカーの話だけになってしまっていましたので、さらに枠を広げて話しておきたいと思います。
例えば、企業の営業活動の中にはスーパー営業マンという者がいます。通常の営業マンと比べて明らかに群を抜いて営業成績がいい営業マンのことです。
すると会社はこう考えるのです。このスーパー営業マンの真似をして営業活動をすれば、会社の売上が格段に上がるのではないかと。
そこで会社はスーパー営業マンに営業のコツを聞き、他の営業マンに実践させます。
ところが、多少は売上は上がったりもするのですが、スーパー営業マンほどは他の営業マンの営業成績は上がったりはしないのです。
会社は、これはおかしい。同じことをやらしているのに、スーパー営業マンと他の営業マンになぜこんな差が出るんだ、と考え。もしかしたら、スーパー営業マンが何かコツのようなものを隠しているのではないかと、探ったりもするのですが、結局何も分からないのです。
なぜかというと、スーパー営業マンのやっていることというのは、陶芸家の師匠と同じで、ほんのささいなゆらぎのような差にこだわって作り上げた営業スキルだからなのです。
この営業スキルというのは、目に見えるコツのようなものではなく、営業活動の中のほんのささいな会話の間合いだとか、ちょっとしたリズムの取り方や、ささいな仕草など、本人ですら気づかないような、ゆらぎのような違いが営業成績を大きく伸ばす結果につながっているのです。
ようは、ぱっと見た目は、スーパー営業マンと普通の営業マンの営業活動の差は何もないように見えるのですが。実際は、ほんのささいなゆらぎのような差がそこにはあり、この差は本人ですら分からないような差ですので、分析をして真似しようと思っても出来ないため、その人個人の個性だとなるのです。
ここでいえることは、メーカーの商品はコピーが出来るため個性を持たせればライバル会社の商品に競り勝つことが出来ますが。スーパー営業マンの営業スキルはコピーが出来ないためライバル会社に差がつけられないのです。このため営業活動において、営業マンの能力差によってライバル会社に競り勝つというのは原理的に難しいとなってしまうのです。
その他には、小売業にも触れておきますと。小売業は店舗を持って販売をするわけですが。よく陥りやすいのが、販売員の販売スキルでライバル会社に競り勝てというものです。これは先程のスーパー営業マンの話と同じなのですが。スーパー販売員というのがいたとしても、スーパー販売員と通常の販売員の違いは、ほんのささいなゆらぎのような差しかないため、分析もコピーも出来ない個性ですから、真似できず。販売員の能力差でライバル会社に競り勝てという発想は、おおむね失敗に終わるといえるのです。ただ販売店についていえば、店舗のレイアウトなどはコピーが出来るものとなります。ようは、販売員で差をつけることは出来なくても、店舗の作り方で個性を出し、集客力を引き上げることは可能だということです。そして店舗は人ではなく物ですのでコピーが可能なため、ライバル店に差をつけることが可能になるということです。ただここで一つ注意点を申しておきますと、店舗の作り方だけでは、売上は上がらないということです。どうしてかというと、販売というものは、広告宣伝や、価格設定、販売員のスキル、立地条件、店舗規模、ターゲットとする客層、など店舗の作り方以外の要素が上手く組み合わさらなければ、最終的な売上アップにはつながっていかないからです。このため、最終的な売上アップのためには、販売に関わる全体的なコーディネートが重要になってくるのですが。ただそれでも、普通に今いったことをこなしていたのでは、ライバル会社と同じことをすることになってしまうので、結局売上は上がらないのです。そこで必要となってくるのが、個性なのです。そして、最も個性が出しやすいのが店舗の作り方であり、これはコピーがきくものなので、全体のコーディネートをしながら店舗の作り方で個性を出してやればライバル会社に競り勝つことが出来るというわけです。
さて、これでこのブログのタイトルである「日本でイノベーションを起こすためには」の予備知識の説明はこの辺で終わりにして。本編である、どういうイノベーションをどうやって起こすかについての説明に入りたいと思いますが、長くなりますのでそちらはまた次回にしたいと思います。