イノベーションとは、経済発展のための全く新しい新技術や、ビジネスモデルの構築のことを指しますが。今まで人類の歴史においては、3度ほど起きています。産業革命、自動車や家電の大量生産、IT革命がそうです。
そしてこれらのものは、科学技術の発展によってもたらされたものになります。
ということは、科学技術の成熟を待たなければ次のイノベーションは起こせないとなりますが。一つだけ、さらなる科学技術の発展を待たなくても起こせるイノベーションがあるのです。
では、それは何かとなるのですが。
それは「精神世界のイノベーション」だといえます。
精神世界のイノベーション?何だそれは、という話ですが。
実は精神世界の革命は過去に1度だけ起こっているのです。
それは何かというと、世界宗教の布教になります。
世界宗教とはご存知の通りキリスト教、仏教、イスラム教などになります。
世界宗教以前の宗教は原始宗教と呼ばれ、ただ純粋に食料などの恵みに感謝しましょう、自然に感謝しましょう、といったように単純に生きていること、生かされていることに感謝しましょうといった単純なものでした。しかしこのような単純な宗教では、複雑化した人間社会では、何が善で、何が悪なのかという区別がつかず、社会の規律が守れなくなりました。そこで、世界宗教では、こういった場合にこういった行動をとることは道徳に反する行為で悪ですよ。こういった行動をとるものが善ですよと、細かく説明をして人としてどういった行動をとることが好まれるのかということを、人々に伝えたわけです。
ただこれは精神世界の革命であり、イノベーションではないのです。
イノベーションの定義としては、新技術や、新しいビジネスモデルによって経済成長が起きるというものになりますので。世界宗教は人々の精神世界においては革命的な出来事でしたが、それによって経済成長は起こっていませんのでイノベーションにはならないのです。
ではなぜ今回、精神世界のイノベーションなどということを言っているのかというと。
今まで起こしたイノベーションは、物質的豊かさを求めるためのイノベーションだったわけですが。
このブログをここまで読んで頂いた読者の方はお分かりと思いますが、私達が幸せな人生を送るためには、物質的豊かさと、愛、道徳、の三つのものが必要となります。
にも関わらず、私達は物質的豊かさだけをひたすら求め続け、愛と道徳をないがしろにしてきました。(なぜそうなったかという経緯は、このブログの神話編をお読みください。)
そもそも、なぜ私達が経済活動と呼ばれるものを社会の中心に置き、それに従って生きているのかというと、経済活動が私達を幸せにしてくれると信じているからなのです。
ところが、愛と道徳はどうかというと、経済活動の蚊帳の外に置かれ、無視され、関係ないとされているのです。
幸せになるために経済活動を必死になってやっているのに、物質だけ渡されて、愛や道徳は知りませんと言われているのです。
では、愛や道徳はどうすればいいのですかというと、経済学者などは、それは宗教とかそういった話でしょう、そちらで話してください、となるのです。
ところが宗教は、科学技術の発展のため、その多くが(神の存在や天国や地獄などが)否定されているのです。
幸せになるために経済活動をしているのに、幸せになるための活動(科学技術の発展)が、もう一方の幸せになるための活動(宗教による愛と道徳の布教)を否定しているのです。
だったら、どうすればいいですか?ということですが。
それだったら、私達が幸せになるための活動である経済活動の中に、愛と道徳を組み込めばいいではないですか、ということなのです。
というと、そんなことが出来るんですか?となりますが。
もちろん、簡単には出来ません。
やるとすれば、イノベーションを起こすしかないでしょう。
ようは、「愛」と「道徳」の販売をするということなのです。
もちろん、愛や道徳は物質ではありませんので、そのままパック詰めして販売はできませんので。
結果として、愛や道徳が人々の生活の中に行き渡るようにシステムの変更をするということです。
すると、そんなのは政府や宗教の仕事ではないのか、ビジネスでやるようなことではないのではないのか、という意見もあるのでしょう。
でも考えてみて下さい。政府や宗教も一つのシステムなのです。そこで、人が活動をすれば、賃金が発生し。建物を立てれば、建築費や修繕費、維持費が必要になります。採算が合わなければ、政府も、宗教も破綻します。これらのものは、形は違えど、ビジネスと同じシステムとして存在し機能しているのです。
ならば、ビジネスで愛や道徳を取り扱ってはいけないということはないのです。
それに、今や私達の社会の中心に有るものは、宗教でも政治でもなく、経済なのです。
経済こそが、現代人の心のよりどころであり、人生の大半を経済活動に捧げているのです。
その証拠に口を開けば、「景気が良いね。」「景気が悪いね。」と言っていますし、景気の良い悪いは社会の一大事とされているのです。
私達の心のよりどころが経済ならば、宗教や政治に変わって、経済が私達の幸福の残り2つである、愛と道徳を提供すべきシステムであるといえるのです。
もちろん、そんな簡単にいくのか?という意見もあるのでしょう。
そもそも、イノベーションは簡単にはできないものです。だから人類の歴史では大きなものは三度しか起きていないのです。
それでもイノベーションを人々が起こそうとしてきたのは、それが人類にとって必ず必要なことだとだ思ったからです。
単純にいくら儲かるのかとか、必ず成功するのか、などという考えではイノベーションは起こせないのです。
それを起こすことが本当に私達にとって必要なものならば、いくら儲かるとか、必ず成功するのか、ではなく。人類にとって必要なものだから、成功するようにひたすら努力するしかないのです。
イノベーションとは、未知の世界を切り開くことであり、人類の進化なのですから、システムとして上手く機能するように、手探りでも設計し作り上げるしかないのです。
「愛」「道徳」「物質的豊かさ」
この三つは、三つでセットとして存在しています。
どれか一つでも欠ければ、私達は幸せにはなれません。
経済が私達に物質的豊かさを与えてくれるのならば、残り二つの愛と道徳もセットとして、経済活動の中に組み込むのは自然な流れだといえます。
本来この三つをバラバラに考えようとすることの方が、不自然なことなのです。
私達人類が、愛と道徳をないがしろにしてでも、経済活動で物質的豊かさを求めてきたのは、貧困や、衣食など生活必需品の枯渇を克服するためでした。
生存の危機の前では、道徳は崩壊します。道徳の崩壊は愛の喪失を招きます。
このため、物質的豊かさは人類の最優先事項でした。
そういった意味では、昔の人達が愛と道徳をないがしろにしてでも物質的豊かさを追い求めたのは仕方なかったともいえるのです。
しかし、現在では先進国に限っていえば、おおむね(全てとはいいませんが)物質的豊かさを享受出来るレベルには達しているといえます。
とすると、物質的豊かさだけを求め続けるという経済発展はこの辺にして、次のイノベーションである、精神世界のイノベーションを起こすべきではないでしょうかということです。
精神世界の革命は実に二千年ぶりになります。
世界宗教の布教以来となりますので、そう簡単にはいきません。
しかしこれを起こせば、二千年ぶりに世界史を変えることになりますので、それを起こしたジャンルの企業は、世界企業となるでしょう。
ようは世界市場を独占出来るということです。
言い方を変えると、どこかの国でどこかの企業が精神世界のイノベーションを起こせば。そのジャンルの、その他の企業は市場を失い廃業に追い込まれるということです。
では、どこで起こるのかということですが。一番思想的に近いのはヨーロッパの福祉国家となるのでしょう。ということは、ヨーロッパで起こる可能性が高いといえますが。世界第一位の経済大国アメリカが指をくわえて見ているだけとも思えませんので、アメリカかもしれません。しかし、アメリカの座を虎視眈々と狙っている中国かもしれませんので、これらの国のどこかで起こる可能性が高いのでしょう。
では、日本はどうなのか?日本では起こらないのかとなりますが。
残念ながら、この精神世界のイノベーションは今の日本では起こせないのです。
とすると、なぜ起こせないんだ?となりますが。
そちらはまた次回としたいと思います。