日本は今現在、キリスト教の言う所の原罪の中にいます。
村八分にいじめ、自分達の都合のいいように善悪の基準を書き換え他者をいたぶってもいいというのは原罪であり。
どの形が他者や社会にとって価値ある基準かを話し合いもせずに形を押し付けるのは、仏教思想の三法印からも悪行であるといえます。
では、これらの村八分、いじめが、社会にとってどのような弊害があるのかについて確認しておきたいと思います。
まずこのブログでは、イノベーションが起きなくなることを説明しました。
イノベーションを起こそうとすると、今までの価値観を大幅に変更しなければいけなくなります。このため、今までのビジネスモデルでポストに着いていた者の地位が保証できなくなりますし、一般職の者も業務形態の大幅な変更で職を失うこともあります。このため、村八分社会では、そのイノベーション自体での反対に合わなくても、ようは善悪の基準を勝手に書き換えてもいい社会ですから、イノベーションを起こそうとする者の人格やちょっとした素行の悪さや、事実と違う悪評を立てられ間接的にイノベーションが失敗するような働きかけが起こるのです。
また人と違うことをしようとすると、その社会の中で目に付くわけで。とすると、先程いったような村八分が起こるかもしれないと予測されますので。先読みをしてイノベーションのような、大幅な社会の変更をかけるようなアイデアは最初から出さない方が身の安全をはかれるとして、アイデア自体を出さなくなるのです。
また村八分社会では常に他者から村八分を仕掛ける機会を狙われていますので。このような社会で身の安全を確保するためには、自分が常に村八分を仕掛ける側に回らなければいけませんので、多数派工作で派閥を作りその派閥に攻撃を仕掛ける者がいると敵対心を煽り団結させておく必要があります。もちろん、その派閥に加わってない者は狙われる可能性がありますので、さらにそれらの者達も身の安全のために派閥を作り他の派閥に狙われるとして敵対し、内部を団結させていなければいけなくなるのです。
ようは社内で分断が起こり、お互いに足の引っ張りあいを始めますので。イノベーションどころかちょっとた改善案でも、いつかどこかでやって成功した石橋を叩いて渡るようなありふれたアイデアしか出てこなくなり。その企業はライバル他者との競争についていけなくなり衰退し、いずれは市場からの撤退を余儀なくされるのです。
他にも上げて起きますと。
もちろん村八分やいじめには、直接的な被害もあります。
最近の有名な例ですと、女子プロレスラーの女性がTVの恋愛番組で人として不適切な言動をしたとして、ネット社会で叩かれまくり自殺をしたというケースがあります。
(このブログは村八分やいじめの加害者を糾弾するためのものではありませんので、詳しくは説明しませんので、よろしくお願いします。)
しかしこのようなケースは、ネット社会になった現在だから起こったわけではないのです。
今から数十年前、私が小学校の頃に学校の授業で教わった村八分の実話をお話します。
とある田舎の農家の夫婦の話です。
ある時、農家の奥さんが、近くにセールスに来ていたセールスマンの若い男性と意気投合し道端で楽しそうに話していたそうです。
それからしばらくしてからのことです。誰が言ったのかは分かりませんが。その農家の奥さんは、その若いセールスマンと不倫関係になり旦那さんに隠れて付き合っているという噂がその集落に広まったそうです。
その後その集落ではその噂話で持ちきりになり。その農家の奥さんに対して、話しかけられても無視をしたり、ちょっと離れた場所で陰口を叩いたり、回覧板をわざと回さなかったりと、陰険な嫌がらせを必要にするようになったそうです。
農家の奥さんは、直接不倫をしてるのかと聞かれることもないので釈明も出来ず、ただただその嫌がらせに絶え続ける日々が続き、最後には「私は不倫なんかしていない。」という遺書を残して、家にあった農作業用の農薬を飲み服毒自殺をしたそうです。
通夜の後、怒った農家の旦那さんは、その集落の集会で妻が不倫をしているという噂話を誰から聞いたか一人一人聞いていったそうです。
そして、最初にその噂話をした人物までたどりつくと、それは自分の家の近所の奥さんでした。
なぜそんな噂話を広めたのか、その浮気の現場でも見たのかと問いただすと。
その奥さんは、若い男性と楽しそうに話している姿を見て、つい羨ましくなり嫉妬心にかられて言ってしまった。浮気現場などは見ていないと、謝罪したそうです。
たったそれだけの嫉妬心で、自分の住む家の近所の人をおとしいれ、自殺させてしまう。
村八分、いじめは、今に始まったことではないのです。
日本人は何十年も前から、ずっと同じことを永遠としているのです。
ネット社会の誹謗中傷によって自殺したプロレスラーの女性のケースは、ネット社会になったことによる被害者ではないのです。
ネット社会による誹謗中傷のため証拠が残っていたから、大々的に取り上げられただけなのです。
このようなケースは日本社会にはいくらでもあるのです。
表に出てきているものなど氷山の一角にすぎないのです。
いらぬ風評を広げ、他者を追い込み自殺させるまで叩き続ける。
この社会がまともではないことは、わざわざ神や仏の教えを説かなくても本来分かることなのです。
他にも上げておきますと。
この大人社会の村八分は、子供社会のいじめ問題に深刻な影響を与えています。
まず大人社会の村八分では派閥を作り敵対者に村八分をしかけ攻撃します。
村八分は集団でやりますので、例えば攻撃される側が間違ったことをしていないと思いかばおうとすると、村八分の集団は自分達の派閥を裏切った裏切り者と受け止め、かばった者も一緒に村八分にするのです。
このためいったん村八分が始まると、下手に止めることも出来ず、放置されることになるのです。
このことが子供のいじめ問題とどう関係しているのかというと。
以前、子供を持つ二人の母親同士が、子供のいじめについて話しているのをたまたま聞く機会があったので、その話をしたいと思います。
1人の母親が子供のいじめについて質問しました。
「子供がいじめを見た時どうすればいいか、どう教える?止めさせる?」
もう1人の母親が答えます。
「絶対、止めさせない。一緒にいじめなさいって教える。」
最初の母親が言います。
「そうよね。かばったりして一緒にいじめられもしたら損だよね。」
だそうです。
いじめで子供を自殺に追い込まれ殺された母親が聞いたら発狂しそうな会話ですが。
これが日本社会の道徳教育の実態なのです。
なんとも酷い話だなと思いましたが、だからといって私はこの母親たちを責める気持ちがわかなかったのです。
なぜかというと。
この母親たちも、日本の村八分社会の被害者だからです。
村八分社会で被害に合わないためには、つねに加害者でなければなりません。
子供のころのいじめや、社会に出てからの村八分。
そこで一度でも被害にあえば、誰も助けてはくれず放置されます。
助ければ裏切り者として一緒に村八分に合うわけですから放置するしかないのです。
そういった社会の中で生きている者は村八分の残酷さを知っていますので、自分の子供にはこのような社会の被害には合わせたくはないと思うのが当然なのです。
彼女たちが子供に一緒にいじめをしなさいと教えるのは、この日本社会で安全に暮らすための処世術なのです。
そういった意味では、子供を日本社会の被害から救いたいという、母の愛でもあるのです。
もちろん、他者の子供を犠牲にしての愛ということになりますので、これは善悪では悪となりますが、彼女たちにはそうするしか子供を守る方法はないのです。
当然そうやって育てられた子供には道徳観念などありませんから。
学校でいくら先生がいじめはしてはいけませんと、言ったところで。
家庭ではいじめをしなさいと教わっていますから、先生に見つからないようにいじめをすればいいと思い、何の歯止めもかからないまま、相手が不登校になるか、自殺に追い込んで殺すまで徹底的にいじめ抜くわけです。
本当に残念なことですが。日本の子供達というのは、いつ自殺に追い込まれて殺されても仕方がないような時代に生きているといえるのです。
大人社会の村八分を放置するということは、私達の子供達を地獄のような世界へと叩き落としていることに、他ならないのです。
母親を責めたって仕方がないのです。彼女たちはもはや諦めの境地の中、自分の子供だけでも助けてやろうと、出来ることをやっているだけなのです。
彼女たちに責任は無いのです。
彼女たちが我が子に「いじめを見かけたら一緒にいじめときなさい。」と教えなければいけないような日本社会を放置してきたことが、私達の最大の罪なのです。
私達の社会を狂わしている全ての元凶は「村八分社会」にあるのです。
この村八分社会を克服することが、今私達がやらなければならない最大の課題なのです。
もちろん方法はあります。
私達は今まで、精神世界と経済世界は切り離して考えて来ました。
しかし、私達が幸せな人生を送るためには、「愛」と「道徳」と「経済的豊かさ」が必要です。
しかしこの3つはバラバラに存在するようなものではなく、3つで一つのものなのです。
3つで一つのものをバラバラに考え答えを出そうとしてきたからこそ、答えが出なかったのです。
長らく日本社会の村八分という悪習には問題があると言われ続けて来ましたが、誰も解決策を見つけることは出来ませんでした。
それは経済を精神世界と切り離して考えて来たからなのです。
経済と精神世界、これらのものを一つにまとめ上げることが出来た時、私達は長年苦しみ続けてきた村八分という悪習から開放されることになるでしょう。
子を持つ母親たちが我が子に「いじめを見かけたら一緒にいじめときなさい。」と教えなくてもすむ時代が来るということです。
いらぬ風評を広げ、他者を自殺に追い込むことのない世の中を作れるということです。
イノベーションを起こし日本企業を更に発展させることが出来る国になれるということです。
私達は乗り越えるべきなのです。
村八分社会などという悪夢のような時代を。
誰しもが幸せを掴むことの出来る社会を作るべきなのです。
そのためには、三つのものを一つにまとめ上げることが必要なのです。
続きは次回にしたいと思います。