前回の続きです。
人々が学者の家を後にして、しばらくが経ちました。
「ごめんくだされ。」
という挨拶と共に騒々しい声が、学者の家の中まで聞こえてきました。
学者は玄関のドアを開け外に出ると辺りを見回し言いました。
「やれ、やれ。また、あなた方ですかな・・・今度は何の用ですかな?」
人々を代表して和尚様が一歩前へ出ると言いました。
「それがのう、皆がいうにはなかなかセレブになれないと言っての・・・ちと、それがの・・・なんというか・・・それがの・・・」
「もう、じれったい!」と赤ん坊を抱いた母親が前へ出てきて言いました。
「学者さん、どういうこと!私はあなたに言われた通りにしましたよ。でも、いつまでたってもセレブになんかなれないじゃない。どういうことなの!」
学者は言いました。
「なんだ、そんなことでしたか・・・それで、あなたは似顔絵付き紙切れ100万枚のコートを何着手に入れたのですか?」
母親は言います。
「2着よ2着。毎日、毎日、朝から晩まで、働いて、働いたのに、たったの2着よ!・・・どういうこと。あと98着はどうすればいいのよ?」
「あははは・・・それは、それは、ご苦労様でしたな。それは、あなた、努力がまだまだ足りないだけですな・・・それを、人のせいにするのはよくないですぞ。セレブは世の中に確実に居る。なれないわけではない。でも、なれない・・・そりゃ、あなたの努力が足りないせいだ。もっと、もっと、努力をしなければ、そうでしょ。」
「なによ、それ!・・・私だけじゃないのよ。ここに居る皆、毎日、毎日、朝から晩まで、努力して、努力して、努力してるわよ!・・・でも、まだ誰もセレブになんかなってないのよ。おかしいでしょ!・・・どういうことなのよ!」
「やれ、やれ。あなた方は、本当に困った人達ですね。・・・まだ、だれもセレブにはなっていないと。そうですか・・・ところで、ここには100名ほどの人が集まっていますが、この中で100万枚のコートを一番多く手に入れたのは誰ですか?」
すると後ろの方で、男が言いました。
「俺が10着手に入れたぞ。」
学者は言います。
「そうですか、では後90着ですね。どうやら、あなたがセレブに一番近いようですな。頑張って努力してくださいね・・・これでいいですかな。」
母親はムッとした顔をすると言いました。
「なによ、それ!・・・どうやれば、セレブになれるのか聞いているんです!・・・答えなさいよ!」
「まったく、努力をしなさいと言ってるではないですか・・・ところで、あなた方はこの地方に、100万枚のコートが何着あるのか知っているのですか?」
母親は首を傾げると言いました。
「そんなの、知らないわよ・・・いったい何の話をしてるのですか?はぐらかさないで下さい!」
学者は言います。
「おや、おや。知りませんでしたか・・・この地方には100万枚のコートは100着しかないのですよ・・・知りませんでしたか?」
人々は学者が何を言っているのか分からず、しばらくポカンとしていましたが。赤ん坊を抱いた母親の目尻が釣り上がると言いました。
「それは、どういうこと!・・・じゃ、100万枚のコート100着は、この中でたった1人しか手に入れられないってことなの?」
学者は答えます。
「ええ、そうですよ・・・知らなかったのですか?・・・いや、いや、困った人達だ、あははは・・・」
人々はざわざわとざわつくと、口々に言いました。
「どういうことだよ!ふざけんな!」
「そんなの、いつまでたってもセレブになれないじゃないか!」
「この、インチキ学者!騙しやがったな!」
学者は言います。
「まったく、これだから素人は・・・私がいつあなた方を騙したというのですか?私は一度もここに居る全員がセレブになれるなんて言ってないですよ・・・なれるのは1人だけ、当たり前じゃないですか。こんな地方都市にセレブが100人も200人も居たら可笑しいでしょう。こんな地方都市じゃセレブが居たとしても、1人がいいところでしょうな・・・さあ分かったら、お引取り願いましょうか。」
赤ん坊を抱いた母親は、納得がいかないとばかりに言いました。
「待ちなさいよ!・・・100万枚のコートが100着しかないとすれば。もうコートを持っている人が居るから、永遠にコートが100着そろうことはないじゃないですか!・・・やっぱり、あなた。私達を騙したのね。手に入れられないのを知っててセレブになれって言ったのね!」
人々も言いました。
「そうだ、そうだ!騙しやがったな!」
学者は言いました。
「あははは・・・何のことかと思えば・・・あなた方は、何も分かっていない。手に入れられないですって?そんなことはない・・・コートを持っている人が居るんだから、手に入れられますよ・・・どうするかって、決まってるじゃないですか・・・奪うんですよ!・・・持っている人から奪えば手に入れられる。あなたの隣の人がコートを持っていればそれを奪い、その隣の人がコートを持っていればそれも奪う。そうやってどんどん奪って、奪っていけば、最後まで奪い続けた1人だけが100着そろえて、セレブになれる。当たり前じゃないですか。何をいっているんですか・・・もちろん合法的にですよ。非合法はいけない。非合法は、争いになる。争いが大きくなれば、戦争になる。戦争が大きくなれば、世界大戦になる。世界大戦になれば、人類は滅びる。お分かりですな。・・・合法的に奪って、奪って最後の1人だけがセレブになる。そういうことですな・・・」
人々はシーンと静まり返ると、和尚様が言いました。
「それではの、さすがに奪われた者がふびんではないかの。奪われた者はセレブになれんしの、なんとか皆が平等にセレブになれんのかの・・・」
学者は言います。
「平等にですって、そんな馬鹿な・・・あなた方は、私が今まで話したことを、本当に聞いていたのですか?・・・私が価値の話をしたのを、まだ覚えていますか?・・・価値というものがなぜ生まれてくるのか、話しましたよね。忘れましたか?・・・仕方のない方々ですな・・・価値というものは、数に制限があるから生まれて来るものなのですよ!・・・セレブに価値があるのは、この中でたった1人しかなれないから、価値があるんですよ。お分かりかな・・・だいたい、考えてもみてください。オリンピックの金メダルを、参加者全員にプレゼントしますなんていったらどうなりますか。100m走の選手達は皆でスキップしながら、お手々つないでゴールしますよ。そんなオリンピックなんか誰が観たいのですか。そんなことになったらオリンピックなんか、誰も出ようとは思いませんよ。金メダルに価値があるのは世界でたった1人しか手にすることが出来ないからじゃないですか。だから死にものぐるいで努力して金メダルを取ろうとする。セレブと同じなのですよ。たった1人しかなれないから死にものぐるいで努力してセレブになろうとするということですよ。お分かり頂けましたかな・・・」
赤ん坊を抱いた母親が言いました。
「私達はオリンピック選手じゃないわよ。なんでそんな死にものぐるいで競争をしなければいけないのよ。なんで奪い合いをしてセレブになんかならなければならないのよ!」
学者は言いました。
「そりゃ、私達の社会が競争原理社会だからですよ。あなたは労働をしている。そして報酬として似顔絵付き紙切れを貰っている。その報酬は、あなたの会社がライバル会社と争って、顧客を奪い取ったことによって発生しているもですぞ・・・競争なんですよ・・・競争に勝って、勝って、勝ったものだけが、最後に金メダルを手に入れられる。そういった社会にあなたは住んでいるのですよ・・・あなたは会社から報酬を貰っている以上、ビジネスという名のオリンピックにもう参加してるのですよ・・・あなたは、あなたが好むか好まざるかに関係なく、もうビジネス界のオリンピック選手なのですよ・・・あなたは、もうスタートラインに立ってスタートを切っている。ゴールに向かって、あとは走るしかないんですよ・・・走るんですよ、あなた方は。ゴールに向かって。セレブという名の金メダリストを目指して、走るんですよ・・・奪って、奪って、奪うんですよ、あなた方は。それが、あなた方の運命だ。それがセレブなんですよ・・・さあ、ぐだぐだ言ってないで。家に帰って隣の者のコートを奪う算段をしたらどうですか。ぐずぐずしていると、お婆ちゃんになってしまいますぞ・・・あははは・・・」
赤ん坊を抱いた母親は、顔を赤らめると言いました。
「なんなのよ、この人は!私、こんなの嫌よ!・・・最後の1人になれるかどうかも分からないのに、なんで死にものぐるいの努力なんかしなくてはいけないのよ!・・・」
母親はすがるように言いました。
「和尚様、どうにかしてよ。」
和尚様は頭を抱えると言いました。
「そんなことを言われてもの、経済のことはわしにはさっぱり分からんしの・・・」
人々も言いました。
「和尚様。もうこんなやつの言うことを聞いても、俺達は一生セレブにはなれない。どうにかなりませんか。あんたならいい知恵が有るんじゃないのか?」
すると、学者は言いました。
「まったく、往生際の悪い人達だ。和尚も困っているじゃありませんか。寺の修繕費も工面出来ない和尚に何が出来るというのですか・・・いいですか、あなた方の人生なんてもう決まっているのですよ。死にものぐるいの努力もする気もない、金メダリストを目指す気もない、そんな人に何の祝福があるというのですか。あなた方は人生を諦めた落ちこぼれなんですよ。分かりますか、この意味が・・・あなた方は、何も気づいていない、何も理解していないんですよ・・・あなた方はオリンピックを観る、その時どう思います?オリンピック選手が金メダルを取った、やったぞバンザーイ、嬉しい・・・何故そう思いますか?・・・あなた方は、そこに夢を見ているんですよ。自分もいつかあの選手みたいに人生の成功者になってガッツポーズをするんだ!・・・いつか自分も成功してセレブになるんだと。そうなりたくて、なりたくてたまらないのに、そうなれない自分自身に夢を見さしているんですよ。だから感動する。だから一生懸命応援する。そこに居るのは、オリンピック選手じゃない。そこに居るのは、あなた自身なんですよ。夢を諦め、成功できない自分を、励ますために、あなた方は応援しているのですよ。もう一度、夢を持て、もう一度金メダルを目指すんだと。自分自身を応援しているのですよ・・・お分かりかな?・・・オリンピック選手がライバルに敗れ、泣き崩れ、悔しくて、悔しくてたまらず、地面を叩いた時。あなた方は、どうしていますか?・・・今回は仕方ない、まだ終わりじゃない、次がある、頑張れ、頑張れと、励ましている。そこにいるのは誰ですか?オリンピック選手ですか?・・・いや、いや違う。そこにいるのは、あなた方自身だ!・・・セレブになりたくて、なりたくて仕方がないのに、どうしてもなれない自分自身を励ましているのですよ・・・あなた方は、最初から負け犬なんですよ。だからオリンピックを観て感動する。だからオリンピックを観て熱狂する。あなた方にとってオリンピックは他人事ではないんですよ。負け犬の自分自身を、金メダルという夢を観ることで奮い立たせ。負け犬の自分自身を金メダルを取れなくて泣き崩れる選手に投影させ励ましているんですよ・・・お分かりかな?・・・あなた方は逃れることが出来ないんですよ。経済という名の巨大なオリンピック会場から。あなた方は、ビジネス界の金メダリストを目指す、一選手なのですよ!・・・さあ分かったら、さっさと家に帰ってオリンピック選手のように、死ぬほど努力をすることですな。」
赤ん坊を抱いた母親は悲痛な顔をすると言いました。
「何故よ、何故こんなことになってしまったのよ。金メダルは、たった1個しかないのよ。何なのよこのレースは。嫌よこんなの、誰かどうにかしてよ!・・・」
学者は言いました。
「あははは・・・これはいい!そうです、その顔です。私はその悲痛な顔が見たかった。努力しても、努力しても、手が届かない金メダル。そうなんですよ、その通りだ。もがき苦しむ選手達。お母さん、あなたは今いい表情をした。私はあなたを応援したい・・・まだ終わりじゃない、まだ終わりじゃない、次がある、頑張れ、頑張れ!」
母親はムッとした顔をすると言いました。
「何なんですか!ふざけないで下さい!」
学者は言います。
「ふざけるですって、とんでもない。私は、ふざけてなどいませんぞ・・・私も、あなた方と同じなんですよ。私はノーベル賞が取りたい。取りたくて取りたくて仕方がない。でも、努力しも、努力しても、どうしても取れない。だから、同じなんですよ・・・あなた方と同じなんですよ・・・さあ、分かったら見して下さい。もがき苦しむ姿を。セレブになりたくて、なりたくて仕方がないのに、どうしてもなれずに。落胆して泣き崩れ。もがき苦しむ姿を、私に見して下さい・・・私は見たいんです。そして応援するんです。苦しむあなた達を、どうしてもセレブになれないあなた達を、応援したいんです・・・だってそうじゃないですか、そこにいるのはあなた方ではない。ノーベル賞を取りたくても取れない、私自身なのですから・・・あなた方は、あなた方ではなく、私なのですから・・・応援がしたいんです!励ましたいんです!・・・お願いです、見せて下さい・・・もがき苦しむ姿を!・・・」
人々はヒステリックに叫びました。
「ふざけんな、このやろう!」
「人の人生を何だと思っているんだ!」
「何がノーベル賞だ、知るかそんなもん!」
赤ん坊を抱いた母親も言いました。
「もう、いや!・・・あんたなんか、狂ってるのよ!」
学者は驚いた顔をすると言いました。
「何なんですか、その言い草は。狂ってるですって!よくそんなことが言えますね・・・私は学者ですよ。学者は目の前に有るものを分析して、皆さんに伝えているだけなんですよ。お分かりですか?・・・私達の世界は、民主主義なんですよ。あなた方が主役の世界なんですよ。この世界は、あなた方が、自分達で選んで作った世界なんですよ。お分かりですか?・・・私はただの学者なんですよ。あなた方が作った世界を分析して、あなた方が成功してよりよい人生を歩めるようにアドバイスをするのが私の仕事なんですよ・・・いったい何が不満なのですか?あなた方が自分達で作った世界じゃないですか・・・私が狂ってるですって。そりゃ、あなた方が作った世界が狂っているからなのでしょうな・・・この世界を作ったのは誰ですか?・・・あなた方だ・・・だとすると、本当に狂っているのは、あなた方ということになりますかな・・・」
人々はシーンと静まり返り、誰も何も言わなくなりました。
すると和尚様が何かが閃いたように、ポッンと手を叩くと言いました。
「そうじゃ、そうじゃ、思い出した・・・いやー、ずいぶん昔の話だったもので、すかり忘れてしもおておったわ・・・これは、古い知人から人づてに聞いたんじゃがの。昔々、仏様や、愛の神様が産まれるはるか昔に、何でも<はじまりの神様>という神様がおったそうでの。その神様は、この世の全てのはじまりを決めている神様らしくての。全てのはじまりを決めている神様だからのう。もしかしたら、その神様に頼めばどうにかなるかもしれんの。」
赤ん坊を抱いた母親は、ぱっと明るい顔になると言いました。
「本当に!和尚様、どうにかなるの・・・」
人々も言いました。
「本当ですか、和尚様。そんな神様が居るんですか・・・それで、その神様はどこに居るんですか?」
和尚様は頭をかくと言いました。
「いや、いや、古い話での。居場所までは聞いておらんかったの・・・」
学者は「あははは・・・」と高笑いをすると言いました。
「まったく、何の話をしだすのかと思えば。よりによって、神頼みですか。この科学文明の時代に、神頼みをする人々が居るとは思わなかった。まったく、あなた方は面白い方々だ。あははは・・・さあ、さあ、神様はどこに居るのですかな?・・・もしかしたら、空に浮かぶお月様ですかな?・・・おっといけない、お月様には石と砂地しかありませんでしたな。いや、いや、失敬、失敬。あっ、あと真空も有りましたかな。あははは・・・」
人々は言いました。
「ふざけるな、お前の話なんか聞いてないんだよ!」
「そうだ、そうだ。バチが当たるぞ!」
「地獄に堕ちろ、このやろう!」
赤ん坊を抱いた母親も言いました。
「和尚様、お願いよ。神様の居場所、忘れてるだけじゃないの。お願い、思い出してよ。」
和尚様はまた頭をかくと言いました。
「そう、言われてもの。困ったのう・・・」
それを見た学者は「あははは・・・」と、また高笑いして言いました。
「もう、許して下さい。お腹が痛くてたまらない。こんなに笑ったのは人生で初めてですぞ。あははは・・・ああ、愉快だ!あははは・・・」
すると人々の中から声が聞こえました。
「知ってるよ・・・神様の居場所知ってるよ!」
えっ!と、人々はキョロキョロと辺りを見回しました。ところが、その声の主が見当たりませんでした。
するともう一度、人々の中から「知ってるよ・・・神様の居場所知ってるよ!」と声がすると、スタ、スタ、スタと、小さな男の子が人混みの中から現れると、学者の前まで来て止まりました。
「はい。」
と、その男の子は手に持っていた本を、両手で学者に差し出しました。
呆気にとられた学者は、狐につままれたように本を受け取りました。
すると、その本の表紙にはこう書かれてありました。
〜「はじまりの神様と知能を持った猿達」〜
学者は震える手で最初のページを開きました。
つづく。
では、続きは次回としたいと思います。