空閨残夢録 -14ページ目

空閨残夢録

上層より下層へ 
中心より辺境へ 
表面より深淵ヘ 
デカダンよりデラシネの戯言



 イエスという名前、そしてキリストという意味は、カトリックの表記では「イエズス・キリスト」、プロテスタント諸派の表記は「イエス・キリスト」と呼ばれている、その名前の語源は、古典ギリシヤ語の「イエースース」が、「イエズス」と及び、「イエス」とやがて表記され、同じく古典ギリシア語の「クリストス」が慣用的な日本語表記として「キリスト」と呼ばれている。

 「クリストス」或いは「キリスト」とは、概ね「救世主」を意味するようだが、これはヘブライ語の「メシア」のことで、「メシア」とは救世主のことではなくて、もともとは意味が違う。この「メシア」の件は後日にお話するので、今宵は「イエス」という名前についてだけ述べることにする。

 「イエースース」と古典ギリシア語で表す 名前は、元はアラム語「イエーシュア」と呼ばれていた。イエスが誕生し、活動して、そして十字架にかけられた時代は、アラム語が一般的にイスラエルでは使用されていた。アラム語の「イエーシュア(Ysehua)」は、ヘブライ語の「ヨシュア(Yehoshua)」が語源の名前で、当時、イエスが生きていた時代ではありふれた名前であった。

 ユダヤ人には苗字が無いので、父親の名を冠して「ヨセフの子イエス」とか、出身地の地名を冠して「ナザレのイエス」と呼ぶのが一般的なので、「イエス・キリスト」という呼び方はキリスト教的な表記に限定される。

 旧約聖書には四人のヨシュアという名前の人物が登場してくる。その中で一番有名なのが、モーセの従者として、カナンの地に斥候(偵察)とし て選ばれたヨシュアであり、エリコを陥落させたヨシュアこそが筆頭であろう。

 モーセは十二部族から、それぞれ一人づつ斥候を選出して、カナンの地へ派遣させる。その一人にエフライム族の「ヌンの子ホセア」がいたのだが、モーセは彼を出発に先立って改名し「ヨシュア」〔民数記13章16節参照〕という名前にする。「ホセア」とはヘブライ語で「救い」を意味して、「ヨシュア」の語義は「ヤーは救い」で、「ヤー」は「ヤーウェ(主)」の短縮形とされる。







 さて、 『十戒』(じっかい、The Ten Commandments)という1956年の米国映画は旧約聖書のモーセが主人公となる。・・・・・・あの紅海が割れる大脱出劇で、旧約聖書の『出エジプト記』を原作とした歴史アドベンチャーである。主演はチャールトン・ヘストンで、映画監督はセシル・B・デミル。

 セシル・B・デミル監督は自ら1923年に製作した『十戒』をカラー作品でリメイクしているのだが、モーセの壮大な物語の他に、イエス・キリスト伝も映画化している。それは1927年の作品で『キング・オブ・キングス』という映画なのだが、こちらをカラー作品でリメイクしたのは、ジェームス・ディーンが主演であった『理由なき反抗』のニコラス・レイ監督。

 ニコラス・レイ監督による『キング・オブ・キングス』は1961年に、主演のイエス役に ジェフリー・ハンター、洗礼者ヨハネ役にロバート・ライアン、聖母マリアにはシオバン・マッケンナ、サロメ役にはブリジット・バズレン、ナレーションにはオーソン・ウェールズが当たっている。

 配役のジェフリー・ハンターのナザレのイエス役が個人的には好きであり、革命家の如き澄んだ輝く眼差しが印象的である。洗礼者ヨハネ役のロバート・ライアンも颯爽としていて威厳があり好きである。ヨハネの首をヘロデ王に所望するサロメ役のブリジット・バズレンがこれまた妖艶ですばらしい。このサロメの踊りを見るだけでもこの映画には値はあろう。

 この映画は神の子として祀り上げない抑制がきいた演出がよいと思うし、ユダの裏切りについて明確な演出が施されているのが実によい。 イスカリオテのユダはバラバとユダヤの反乱軍(つまり熱心党と呼ばれるゼロタイ派)として闘う戦士なのだが、リーダーのバラバはローマ軍にやがて捕らわれる。ユダは新たなリーダーとして救世主として謳われるイエスを担ぐことを思い立つ。

 バラバは「マルコによる福音書」によるとおり、過越しの祭のたびの慣例となっていた罪人の恩赦にあたって、総督ポンティウス・ピラトはイエスの放免を期して、バラバかイエスかの選択を民衆に迫った。しかし祭司長たちにそそのかされた群集はバラバの赦免とイエスの処刑を要求。総督ピラトは不本意ながらこれに従ったため、バラバは釈放された。

 イエスの弟子として活動していたユダは武装蜂起を容認しないイエスから離れ裏切ることになる。 赦免されたバラバとユダは十字架を担ぎ磔刑に殉じたイエスを遠く見守る。そしてユダは後悔に苛まれ死を選択する。イエスに対しての裏切りはユダに限らず、ほかの弟子たちも同じだったが、イエスの復活により愛の伝道にやがて赴くこととなるが、原始キリスト教のリアリズムを描いた作品として評価される作品。








 


 『ベン・ハー』(Ben-Hur: A Tale of the Christ、副題「キリスト物語」)とはアメリカのルー・ウォーレスが1880年に発表した小説である。1907年につくられた最初の映画はわずか15分のサイレント映画で、監督はカナダ人のシドニー・オルコットであった。二度目の映画化は1925年、ラモン・ノバッロがベン・ハーを演じたサイレント映画である。これが大ヒットとなったと伝わる。サイレント映画ながら前代未聞の390万ドルという未曾有の制作費が投下された大スペクタクル映画であったらしい。群集の場面では実に12万人ものエキストラが動員されたと伝わる。







 三度目の映画化は、最もよく知られているウィリアム・ワイラー監督が1959年にメガフォンをとった作品で、アカデミー賞11部門に燦然と輝く超大作スペクタル巨編。主演を演じたのはチャールトン・ヘストンであった。いずれの三作品による『ベンハー』も大戦車競争の場面が展開されている。

 この古代ローマ時代の大戦車競争は三作目では、四頭立ての馬と一人乗りの馬車によるスリルとスピード感にあふれるクライマックス場面で、『スターウォーズ・エピソード1/ファントム・メナス』のアナキン・スカイウォーカーがブーンタ・クラシックというポッドレースの場面に投影されている。『グラディエーター』のプロットは『ベン・ハー』の物語が骨格となっているのは明らかであろう。

 さて、ボクは子供の頃にテレビの放映でワイラー監督の『ベン・ハー』を観て、イエス・キリストの存在とその生涯のいくつかの場面を初めて認識した。主人公のユダ=ベン・ハーがガレー船に護送される途中で、砂漠で倒れたところを、ナザレのイエスが水を恵むシーンが脳裏に今でもハッキリと焼きつき、このイエスの姿がボクのキリストとの最初の出会いであった。

 映画の冒頭はローマに支配されたユダヤの住民たちが、戸籍と納税の届出のために出身地へ移動する聖書の逸話から始まる。身重のマリアを伴いヨセフはナザレに向かうが、ベツレヘムの馬小屋でマリアはイエスを出産する。そこへ東方の三博士が礼拝に訪れる場面が序章。

 されど、この映画はナザレのイエスが主役ではなく、エルサレムの豪族・ハー家のユダが主人公なのである。或る日、ローマ軍の新将校として、幼なじみのメッサラとユダ=ベン・ハーは再会を喜ぶ。しかし、ピラト総督がイスラエルに新たに赴任して、イスラエルへ入城した行列にユダの妹ティルザの手元から偶然に瓦が新総督の馬車へ落下してしまう事件が起きる。

 友人のメッサラへ助けを求めユダだったが、日頃、ローマ人とユダヤ人の支配者と被支配者の関係で反目していたことにより、ユダとティルダと二人の母親ミリアムをローマへの反逆罪として訴えることになる。母と妹は地下牢へ幽閉され、ユダは奴隷にされてガレー船の軍船の漕ぎ手として送られる。その護送の途中で砂漠で命を失いかけたユダはイエスに助けられる。

 ローマ軍船の漕ぎ手としてユダはただ一念、復讐に燃えて長い年月を生き延びたが、ローマ軍の主戦艦が敵艦に衝突を受けて沈没してしまう。ローマ兵も奴隷たちも殆どは海の藻屑と消えたが、艦隊司令官アリウスをユダが救出することで、やがてローマ兵となり、アリウスの養子として迎えられる。

 ローマ軍の新将校としてエルサレムに入城したユダ=ベン・ハーは、宿敵メッサラと大戦車競争で対決を挑むことになる。・・・・・・そして、時同じくして、ナザレのイエスがイスラエルに入城してくることになる。













 
 デヴィッド・リンチの1990年の作品に『ワイルド・アット・ハート』がある。この映画の原作はバリー・ギフォードで、映画でも監督と共同で脚本も手掛けている。映画をボクは先に観てから、原作を読んだのだが、この小説はスコブル面白い作品。



 1997年に、この小説の続編が翻訳された。もちろんタチマチ読んでみたが、期待をはるかに超えて読みごたえある作品であった。タイトルは『セイラーズ・ホリデー』で、この続編の物語は主人公がセーラとルーラの恋人同士の物語なのであるけれども、この続編では短編が5編で構成されている。二人はやがて結婚して、子供が生まれ、子供の男の子の成長が描かれ、晩年の人生が時系列的に描かれている。



 だが、続編の冒頭の物語にはセイラーもルーラも登場しない展開から始まる。それは『ワイルド・アット・ハート』で、小説でも、映画でも、見逃すくらいの脇役だったペルディタ・ドランゴの物語なのである。



 映画では、このペルディタをイザベラ・ロッセリーニが演じていた。セイラーはルーラとの逃亡生活から金に困って、ボビー・ペルーと手を組み現金強奪の強盗をする。



 ボビーの恋人であるペルディタは二人の逃亡用の運転手役で犯罪を実行するが、ボビーは警官に撃たれて死亡、そしてセイラーは刑務所で10年を暮らすハメとなり、うまくその場を逃れたのはペルディタだけであった。



 この強盗事件から逃げたペルディタの物語から続編の小説は始まる。そして、つづくセイラーの物語にもペルディタは因果として絡んでくる筋書きになっている。










 さて、このペルディタの短編小説が、ペルディタの冒頭の物語だけが映画化もされている。この映画にセイラーもルーラも登場しない。メキシコに逃亡するペルディタがアメリカ本国の南部である国境から映画の物語は始まる。



 この映画は邦題が『ペルディータ』(原題/Perdita Durango)で1999年の作品。原作のバリー・ギフォードも脚本に携わっている。監督はスペインのアレックス・デ・ラ・イグレシアス。この監督の作品はこの映画しか見ていないが、クエンティン・タランティーノ風のバイオレンス映画とかB級ホラー映画を主に作っているみたいだ。



 出演はペルディタ役ににロージー・ペレス、この女優は他の作品で過去にアカデミー賞にもノミネートされているが、ペルディタの恋人役のロメオ・ド・ロローサを演じるスペインの男優で、ハビエル・バルデムの名演技によりヒロインの影はそうとうに薄くなっている印象を与える。


 

 アメリカとメキシコの国境で出逢ったロメオとペルディタは意気投合する。ロメオはアメリカで銀行強盗や麻薬や違法な稼業で暮らしながら、メキシコ側ではブゥードゥー教の魔術を見世物にするために死体を入手して損壊していた。しかし、ペルディタは白人の金髪である青年と女子を生贄にして見世物にすることをロメオに提案をする。そしてこの殺人で心臓を人肉にして食べることをロメオに薦める。ロメオはすっかり、このペルディタのバカげた意見に賛同してテキサス州のある町で若い金髪の恋人を拉致監禁してメキシコへ至る。

 

 気の毒な金髪の女子のエステルはロメオに強姦されて、エステルのボーイフレンドの金髪の男子はペルディタに犯されてしまう。さて、生贄のインチキなブゥードゥー教の見世物は実行されずに仲間割れから横槍が入る。それで白人金髪の二人は、とりあえずインチキ儀式で殺人は達成されずに命は助かる。しかし、物語はロード・ムービー風に拉致された若い男女とロメオとペルディタの流れとなって物語は展開していく。


 ペルディタとロメオはアメリカ深南部で出逢い、やがて二人は恋におちる。ペルディタはロメオにとってカルメンでありファム・ファタルでもある。またペルディタにとっても、ロメオとは破滅型の危険でサディスティックにして野性的な魅力ある存在であった。二人は人生において出会うべくして出逢った最良の恋人となる。



 ロメオは深南部で強盗などの犯罪で稼ぎ、メキシコではアンテリアというキューバ人などが信仰するハイチのブードゥー教のような秘儀的民間信仰の儀式を見世物にして外国人から金を稼いでいた。その秘儀には供犠に殺人なども行われるアンダーグランドの見世物でもあった。



 その見世物に金髪の18歳くらいの恋人の男女を二人は誘拐して、誘拐された女の子の父親、密輸を探偵する捜査官、南部の州警察、裏切り者のマフィアなどが、ペルディタとロメオ、そして二人が誘拐した子女4人を追いかけるロードムービーとなり、バイオレンス・アクションでもあり、ノワールらしくない何故かご機嫌なハチャメチャ映画の物語で展開する映画作品。









 原作のバリー・ギフォードのイメージではペルディタ役は、サム・ペキンパーの『ガルシアの首』に出演していたメキシコ女優のイセラ・ベガだったようだ。ペルディタの名前は、ラファエル前派のアントニー・オーガスタ・フレデリック・サンズ(英/1829-1904)の作品で、『マグダラのマリア』(1960)の肖像画も好きだが、『ペルディタ』の絵画作品もある。この絵の女性像はシェイクスピアの『冬物語』の主人公であるペルディタである。



 このシェイクスピアの喜劇であり、ロマンス劇を題材にフレデリック・サンズはペルディタを肖像にして描いた。ぺルディタという名前はラテン語で“失われたもの”を意味する。






 
 映画の『ワイルド・アット・ハート』でセイラーを演じていたニコラス・ケイジは蛇皮の服を着ていた。それは、かつて、テネシー・ウィリアムスの『The Fugitive Kind』の戯曲が1959年に映画化されて邦題が『蛇皮の服を着た男』というタイトルで映画化された。



 映画でマーロン・ブロンドは蛇皮のジャケットを着ていた。ギフォードのセイラーのイメージはマーロン・ブランドと察しがボクにはついた。監督はシドニー・ルメット・・・・・・。



 『ガラスの動物園』、『欲望という名の電車』、『熱いトタン屋根の猫』は、テネシー・ウィリアムズの代表的なアメリカ南部3部作だが、『蛇皮の服を着た男』という作品も同系列の南部の社会派ドラマであり物語であった。


 テネシー・ウィリアムズの戯曲の登場人物たちは、喪失感や、欠落感を、強く抱えた者ばかりだった。映画の『ペルディータ』も同じように喪失と欠落の人生から、それを埋めるように性と暴力に身を染めていく存在にも見える。


 この映画で気の毒な金髪の白人の若い恋人たちはペルディタとロメオのインチキな見世物の生贄とされて、殺されそうになったあげくに食べられるという運命が待ちうけていたのだが、二人は運よくカニバリズム(人肉食)の凄惨を免れた。そして、最後はペルディタにより若き二人は命を助けられるのが、この救いなきノワールのバイオレンス映画の救済となり結末となっている。(了)




 この料理は、インサラータ・カプレーゼではない。見た目はカプレーゼ風の、実は塩豆腐サラダなのである。これが今宵の前菜で晩酌にしている。カプレーゼはイタリア南部カンパニア地方のサラダで、直訳すれば「カリブ島のサラダ」というような意味である。モッツァレラ・チーズにトマト、オレガノやバジリコを使ったサラダである。

 この料理は夏によく自分で作るのだが、今回は塩豆腐を代用にして作ってみた。塩豆腐は絹ごしの豆腐を塩漬けにして水抜きして、固くなったお豆腐をモッツァレラ・チーズの代用にする。豆腐は好物なので、チーズよりも価格もリーズナブルにできるから気にいってしまった。今回はバジルの市販のソースで味付けして食べてみた。









 シチリアとナポリの名物に“アランチーニ”がある。これは所謂ライスのコロッケであり、その形をオレンジにみたてて“arancini - 「小さなオレンジ」”と呼ばれる。

 ナポリでは“アランチーニ・ディ・リゾ(arancini - 「お米入りの小さなオレンジ」)”とか、“パッレ・ディ・リゾ(palle di riso - 「お米のお団子」”とも呼ばれている。

 ローマではライスのコロッケを“スプリ(suppli)”とも呼ばれているが、このアランチーニというライスのコロッケの名称を知ったのがわりと最近のことである。実は25年くらい前にボクはこの料理をよく作っていた。

 その頃、銀座のバーで働いていたのだが、ご近所のレストランにあるお品書きである“カマンベールチーズとライスのコロッケ”のレシピと作り方をシェフに教わり、自分の働いていたバーでこの料理を供していた。

 当時は、それがアランチーニというシチリアやナポリの料理とも知らずに調理していた。そのレシピが記されたノートが偶然にも出てきたので下記に載せておこう。









---------------------------------------------------------

(材料)

○無塩バター 450グラム

○米       1合

○小麦粉    1合

○牛乳     1.1リットル

○カマンベール 5缶



①鍋に、バター、米、小麦粉を入れて炒める。


②別の鍋に牛乳を沸かす。


③牛乳が沸騰したら①の鍋に入れて一混ぜしてから、150度のオーブンに30分加熱す  

 る。


④カマンベール・チーズを細かく切って胡椒をまぶす。これをオーブンから出した鍋に加  

 えて柔らかく溶けるまでよく混ぜる。


⑤チーズが溶けたら型に流し込み、冷めてからピンポン玉くらいの大きさの円形に丸め  

 てパン粉をまぶしてフライにする。



--------------------------------------------------------


 以上のレシピからすると本場の調理法とは異なるが、コロッケの形状はナポリ風であろう。シチリアではカチョカヴァッロやパルミジャーノ・レッジャーノのチーズが使用される。ナポリではパルミジャーノやペコリーノチーズが使われるようだ。ローマではモッツァレッラにカチョカヴァッロ入りのようだ。

 いずれも本場では湯炊きしたお米に卵とチーズを入れて作るようだが、ボクのレシピでは牛乳でお米を炊くのが面白い方法だと思われる。チーズもカマンベール・チーズにして日本人好みのレシピにされているのも特徴であろう。











 『三匹の侍』は、1963(昭和38)年にフジテレビ系列で放映された連続テレビ時代劇であった。全6シリーズが60年代に放映されたのだが、第1シリーズ終了後に松竹で映画化された。主演は柴左近を演じる丹波哲郎、桔梗鋭之介に平幹二郎、桜京十郎に長門勇の配役陣は人気をよんで、以後はテレビで長らく放映されて好評を得た作品。

 はじめはテレビドラマ版の人気を受けて映画に制作された。第1シリーズ放映終了後の1964年の春に公開された『三匹の侍』は、五社英雄の初監督映画作品でもある。ストーリーはテレビドラマ版の第1シリーズ第1話『剣豪無宿』をベースにしている。そのあらすじは・・・・・・








 浪人の柴左近(丹波哲郎)は、流 浪の一人旅の途中に或る村の水車小屋の近 くで簪(かんざし)を拾う。その簪はその村の代官の娘の物で、娘は水車小屋に男三人に拉致監禁されていた。囚われの身の娘は圧政と凶作による年貢の減免を求める交渉のための百姓たちの必死の企ての人質でもあった。その百姓の頭目は甚兵衛(藤原鎌足)が主導して無謀とも思えるお上への反旗である。

 最初は高みの見物を決めこんでいた柴だったが、やがて騒動に巻き込まれる形となり、成り行きで百姓たちに加勢することになる。代官は娘を取り返すため、用心棒の桔梗鋭之介(平幹二朗)と浪人・桜京十郎(長門勇)らを水車小屋へ差し向けるが、柴から事情を聞かされた百姓出身の桜は寝返って百姓側につくことになる。

 一連の騒動のなか、柴は百姓三人の罪は問わないことを条件に人 質の娘 を代官に返し、首謀者として自ら捕えられるが、代官は百姓が藩主に直訴することを恐れ、浪人たちを使って密かに三人の百姓を殺害してしまう。百姓側に加勢した柴左近も捕えられて水牢にいれられてしまう。半死半生となった柴は、代官の娘と桜に救出され、江戸から帰って来る藩主の大名行列が通過する道で百姓たちに強訴させようという計画を立てて水車小屋に潜む。

 当初は一連の騒動を客観的立場でクールに眺めていた桔梗だったが、百姓との騒動を藩主に知られたくない代官が全ての関係者の口を封じるために差し向けて来た刺客二人に女郎屋で襲撃を受け、愛人であった女郎屋の女将をも殺されたことで柴と桜に加勢するが、惚れた百姓のおいねを人質に取られてしまった桜が、柴たちの隠れ 場所を代官に喋ってしまい裏切る。

 やがて藩の主行列の先触れとして代官屋敷に到着した大内某が代官から事情を聞き、柴たちを始末するべく手勢を率いて隠れ場所の水車小屋を襲撃にかかる。拷問の傷がまだ癒えない柴と女郎屋での不意打ちで傷を負っている桔梗は多勢に無勢もあって闘いは苦戦する。

 一度は柴たちを見捨てて、おいねと共に村を出た桜であったが、自責の念にかられ、おいねの制止を振り切って村へ引き返し、柴たちの元へ駆けつける。三匹の侍は力を合わせて敵に立ち向かう。死闘の末に大内を倒した柴は単身で代官屋敷に乗り込むがのだが・・・・・・。









 三匹の侍のリーダー的な存在の丹波哲郎の演じるところの柴左近は、テレビドラマでは第1シリーズだけの 出演で、1969(昭和44)年までつづく第6シリーズまでは、平幹二 郎の桔梗鋭之介を中心に、長門勇の桜京十郎にくわえて、加藤剛の演じる橘一之進でストーリーは進み人気長寿番組となってお茶の間を沸かせた。

 ボクも子供の頃に、この連続娯楽時代劇を見ていたが、長門勇の槍をもった浪人の印象が一番つよく記憶に残っており、平幹二郎の刀を腰に差さずに着流しで肩にぶら提げるスタイルも粋だった。1970年に『新・三匹の侍』が放映されるが、この新シリーズには新たに安藤昇に高森玄にひき続き長門勇だけが登場していた。

 1970年代になると、『木枯らし紋次郎』とか、『必殺・仕掛人』シリーズなどの時代劇がテレビの新たな連続娯楽ドラマとして人気をえる時代で、『新・三匹の侍』は1クール全13話で終了するのだが、当時のテレビ番組は2クールが標準 の放映 期間であり、クールとは業界用語 で四半期を意味する。1クールの放映期間は当時として視聴率の低迷による打ち切りを意味する。


 さて、映画『三匹の侍』は、かなり無謀な百姓たちの悪代官への抵抗ではあるが、非道ながら代官の娘を拉致監禁して人質にする行為をした百姓たちは、兵糧のない水車小屋に僅かな粟があり、百姓たちは自分の食い扶持よりも、代官の娘と流れ者の浪人である柴左近に粟粥を食べさせる場面が泣けてしまう。

 また、五社英雄の映画は殺陣がリアルで、この映画ではエンターテイメント的に迫力のある殺陣が発揮されている。それが魅力のひとつでもあるのだが、人情味のあるキャスト陣の個性を描く演出も際立っている。70年代後半に五社監督は、池波正太郎の原作である『雲霧仁左衛門』や『闇の狩人』なども製作するが、これらは重苦しく暗いノワール映画に仕立てられていて、池波正太郎の原作から離れてボクはあまり好きな作品ではない。しかし、チャンバラ映画の傑作である『人斬り』は時代劇の金字塔として語り継がれている。その原点となる作品が『三匹の侍』のなかで収斂されて輝いている忘れられない時代劇ドラマである。