郷愁の街角 その2『大日本帝国陸軍北部軍管区司令部防空作戦室跡地』 | 空閨残夢録

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 2007年の秋に、歴史的な北海道の札幌市月寒にある建造物が解体されると聞きつけて、札幌の豊平区月寒へカメラを忍ばせて足を運んだ。それは、その時は、防衛省の陸上自衛隊の施設であったが、戦前に建造された旧日本陸軍の防空通信施設なのである。



 それは、通称、月寒送信所(つきさむそうしんじょ)で、札幌市豊平区月寒東2条1丁目に所在していた陸上自衛隊通信施設であったが、現在は建造物は全て解体されてしまって跡形もない。







 防衛省の管轄時代は、北部方面隊札幌駐屯地飛び地という扱いになっており、月寒送信所の名はあくまでも通称である。月寒は、明治時代から、大日本帝国陸軍第25歩兵連隊が駐屯していた場所がらでもある。



 送信所は1943年(昭和18年)に設置され、戦前は、「大日本帝国陸軍北部軍防空指揮所」が置かれ、通信所では青森県・北海道のみならず、樺太や千島列島とも通信を行い、敵軍情報を収集して空襲警報を発令していた。近傍には本土決戦に備えて編成された北部軍管区(青森県以北を所轄)北部司令官官邸があったため、別名「北の大本営」とも呼ばれていた。 







 戦後は、送信所のみの陸上自衛隊通信所、ついで通信士の教育施設として使われていたが、近年は遊休地化し、末期は施設警備のための人員が派遣されているだけであった。民間に施設の売却も取りざたされて、札幌に現存する貴重な戦争遺跡であることから保存運動の声が僅かに上がっていたが、2007年11月26日に一般公開され、現在は解体されてしまい歴史の闇へと消えた。






 
 この北の大本営は司令官官邸が戦後に北海道大学の寮として使用され、現・つきさっぷ郷土資料館として存在する。ここから徒歩で5分もかからない場所に、防空指揮所が辺りの住宅地に囲まれて、異様で巨大なコンクリートの施設が鬱蒼とした空間に佇んでいた。



 米軍の航空機にも対処していたであろうが、主にロシア軍の侵攻を想定した建造物で、爆撃に耐えられるように全体の壁は2メートルのコンクリートの壁で覆われた通信施設は、屋上に土を盛って草を茂らせて、内部は当時の最新技術を駆使した通信設備を完備された領空を侵犯する航空機レーダーを備えていた。



 司令官指令所を中心に、通信指揮所や近隣の現在では月寒高校や小学校の施設へと、地下に網の目のように地下道が現存するらしいが、一般には公開されずに、これも歴史の闇に消えていくだろう。いずれにしても、道内の構造物としては、戦争の匂いを漂わせた貴重なものといえるコンクリートの建造物であったことは間違いない。