北海道の十勝から日高山脈の狩勝峠を越えて、国道38号線を北上すると、やがて富良野市に至る。市街を経由し、夕張山地の桂沢湖の山中の道路を西に走る。峠を降りて三笠市に入ると、郊外の幾春別町から奔別炭鉱の立坑が見える。
この街角まで来れば、三笠ICで高速道路を利用すれば札幌まで南へと飛ばし一時間もかからないので、寂れた街並みをカメラを持って探索することとして、寄り道を決め込んで、シャッターをきる。
奔別の炭鉱は明治13年に発見された。当初は民間で開坑されていたが、昭和3年(1928年)住友炭礦が経営にあたり、昭和35年(1960年)に深部開発を図るために立坑を建設。
ひとつの立坑で人を54名搭乗させて、石炭、資材などを昇降させるシステムは国内では初の試み。櫓の高さは約50m、立坑の深さは750m、その内径は約6.4mの構造。建設当時は東洋一といわれた建造物だったと伝わる。
奔別炭山閉坑は昭和46年(1971年)10月で69年間の歴史を閉じ、廃墟は斯様に今でも姿を留めて、その威容を見せているが、廃れ、寂れ、廃墟の巨大なランドマークは、かつてこの小さな町に繫栄と賑わいをもたらしたのは、もう遠い過去の出来事。
炭鉱の閉山にともない1888年(明治21年)に官営幌内鉄道として開通した幌内線は廃線となり、1987年に幾春別駅も廃駅となった。