『クォ・ヴァディス: ネロの時代の物語』(Quo Vadis: Powieść z czasów Nerona)は、ポーランドの作家ヘンリク・シェンキェヴィチによる歴史小説である。この原作から1951年に米国でマーヴィン・ルロイ監督により映画化されている作品は、主演がロバート・テイラー、デボラ・カーによるスペクタル超大作の古典史劇。
小説及び映画のタイトルにある『クォ・ヴァディス』の意味と、その由来となるタイトルは、新約聖書の『ヨハネによる福音書』13章36節~38節にある場面にある・・・・・・
・・・・・・シモン・ペテロ言ふ、「主よ、何處にゆき給うか」、イエスはそれに答えて、「わが往く處に、なんぢ今は従ふこと能はず、されど後に従はん」、 ペテロがそれに言え、「主よ、いま従ふこと能はぬは何故ぞ、我は汝のために生命を棄てん」、 そしてイエスは答へ、「なんぢ我がために生命を棄つるか、誠にまことに汝に告ぐ、なんぢ三度われを否むまでは鶏鳴かざるべし」
最後の晩餐でイエスがユダに「なんぢが為すことを速やかに為せ」と伝え、ユダが去った後に、残った弟子たちにイエスは「なんぢらは我が往く處に来ること能はず」と伝える。そして「わが汝らを愛せしごとく、汝らも相愛すべし互に相愛する事をせば、之によりて人みな汝らの我が弟子たるを知らん」
・・・・・・と、イエスが弟子たちに述べた後に、ペテロが「主よ、何處にゆき給うか」という問いかけた言葉のラテン語が、“Quo Vadis Domine (クォ・ヴァディス・ドミニ)から『何處にゆき給うか(クォ・ヴァディス)』”がタイトルとなっている。
さて、映画の『クォ・ヴァディス』からあらすじを述べながら、話を続けるが、物語はナザレのイエスがゴルゴダの丘で磔にされてから30年が過ぎていた・・・・・・、時は紀元64年初夏、映画の冒頭場面はローマへ通じるアッピア街道を皇帝ネロ治世下の軍隊長マーカス・ヴィニキウス率いるローマ軍第14軍団がローマに凱旋するところから物語は始まる。
この映画はローマへ通じるアッピア街道が重要な意味をもっている。映画の最終場面でもローマを去るマーカス・ヴィニキウスはこの街道を下っていく。映画の主役はロバート・テイラー演じるマーカスである。マーカスはサン・セバスティアーノ門に向かって軍団を引き連れて往くが、ローマのひとつ手前の宿駅に足止めを命じられる。そこで、今は引退した老将軍のはからいで一夜を過ごす。
老将軍の養女リジア(デボラ・カー)にマーカスは一目惚れしてしまうが、リジアはマーカスに惹かれながらもマーカスの戦(いくさ)話を強く嫌み、マーカスの求愛を拒むのであった。それはリジアがキリスト教の愛の思想に深く触れていて、マーカスへの愛よりも、キリスト教の信仰を優先させたからである。
現在、遺跡として残るカタコンベはアッピア街道沿いに幾つも残存している。有名なのはサン・セバスティアーノ大聖堂のカタコンベとサン・クレメンテ教会のカタコンベであろう。映画ではマーカスが潜入したカタコンベにタルソスのパウロとペテロがイエス・キリストの愛の教えを説いていた。
パウロもペテロもキリスト教者たちもアッピア街道からローマへの伝道の道とした。ローマのサン・セバスティアーノ門からカプア、ベネヴェント、港町ブリンディシまで600kmであり、この港からギリシアへと望むことができる。これを逆にクリスチャンはローマへと街道を上ってきたのだ。
マーカスはリジアを奪還すべくカタコンベの集会後に跡を着けるが、リジアの忠僕の護衛に倒され、マーカスの護衛の剣闘士は殺されてしまう。気絶したマーカスはやがてリジアの介抱で目を覚まし、二人の愛は確かめられ心開いたリジアであったが、ペテロの教えにマーカスは対立して、マーカスとリジアは結局、愛の破局を迎えてしまう。
ローマに帰還したマーカスはリジアへの愛を断ち切った思いで過ごしたが、或る日、ローマに大火が起きる。これは歴史的事実でもあり、映画では皇帝ネロの暴虐的仕業として展開させているが、マーカスは燃えるローマ郊外の街を見てリジアの安否が気になり、皇帝王妃の阻止を振り切りリジア救出に奔る。二頭立ての戦車を駆けてアッピア街道をマーカスは奔る。それを王妃の命令で追う戦車隊の活劇シーンは『ベン・ハー』の戦車競争を彷彿とさせる活劇となる映像描写となる。
猛火のローマ市街から市民を助けながリジアを救出したマーカスだが、ネロは自らの放火をクリスチャンに罪を着せて迫害する。この姦計にマーカスもリジアも多くのキリスト教信者たちも囚われの身となる。この迫害から逃れたペテロは連れの少年ナザリウスとアッピア街道を下って逃げて往った。
ギリシアへ逃れるペテロに主イエスが霊的に現れる。姿は見えぬが聖霊は強くペテロに呼びかける。ペテロは畏れ・・・・・・「Quo Vadis Domine 『主よ、何處にゆき給うか』」と呟く、主はナザリウス少年の口を借りて斯く述べる。「ペテロよ!ローマの民は汝の声を求めている。汝が民を救わねば、わたしが二度目の十字架につこう」・・・・・・、この言葉に30年前の後悔がペテロを大きく包んでいく。
ローマではクリスチャンたちへの弾圧が押し迫っていた。闘技場にライオンが放たれネロの公開処刑が行われようとしていた。ペテロはローマに凱旋して死を前にした信者たちへ神の祝福を述べて囚われの身となる。そしてヴァチカンで逆さ十字の磔刑に処され、クリスチャンの多くもライオンの餌食、磔の火炙りと殉教の道を辿っていくのである。
マーカスとリジアの処刑は更に壮絶を極めたものとなる。だが、しかし、神の御業は、この窮地に奇跡的な力を及ぼすのであった。
ペテロが主と出逢ったアッピア街道の道筋には、今ではドミネ・クォ・ヴァディス教会が建てられている。教会の礼拝堂内部には、ペテロの前に現れた時のイエス・キリストの足跡が遺跡として残されている。