『ワイルド・アット・ハート』(Wild at Heart)は、デビッド・リンチが1990年に映画化してカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した作品。原作はバリー・ギフォード(1946-)の同名小説だが、物語に抱きこまれていた暴力や狂気の要素が映画では全面に強調された映像になっている。
原作の小説では、恋人のセイラーとルーラのお互いに尊重しあう関係に共感して優しい気持ちになれるし、二人のロマンに、二人の愛し合う姿に、感情移入して高揚感すら抱くであろう。バリー・ギフォードのビートニクなパルプ・ノワールは、グロテスクでシュルレアリステックな映像表現のデヴィット・リンチの作風よりは、クエンティン・タランティーノの『パルプ・フィクション』の表現感覚に近いとも感じる作風でもある。
ギフォードの小説の『ワイルド・アット・ハート』のセイラーとルーラの物語は、続編の『セイラーズ・ホリデー』へとつづき完結するが、サザン・ナイト・トリロジー・シリーズの南部三部作シリーズの短編集『ベイビィ・キャット・フェイス』で、セイラーとルーラが出逢った頃の物語や、セイラーの刑務所での体験談などが収録されている番外編もある。
さて、映画『ワイルド・アット・ハート』であるが、やはりデビッド・リンチの作品では個人的には最高にたまらなく好きな作品でもあり、何度も繰り返してビデオで観ているけれども、この映画の脚本にはギフォードも携わっているようで、セイラーとルーラの会話は小説とほぼ同じに物語は進捗する。そしてルーラが“オズの魔法使い”の物語の要素を会話に頻繁に引用するのが映画の脚本の特徴でもある。
ルーラとセイラーの二人の会話だけではなく、映画の場面に現れる魔女の魔法の水晶玉、東の悪い魔女、南の良い魔女も画面に夥しく出てくる。ルーラが紅い靴の踵をドロシーのように3回ならす場面、愛犬トトのことを語る老人、セイラーが息子のペイスに渡すライオンのぬいぐるみなど、オズの魔法使いのオマージュが全編に鏤められている。
セイラーが着ていた蛇皮のジャケットは、テネシー・ウィリアムズの戯曲の『地獄のオルフェウス』を、テネシー・ウィリアムズが自ら映画用に脚本化した『The Fugitive Kind』が1960年に映画化されていて、その映画の中でマーロン・ブランドが蛇皮の服を着ていたオマージュでもある。
テネシー・ウィリアムズ(Tennessee Williams. 1911-83)といえば、戯曲の『ガラスの動物園』、『欲望という名の電車』、『熱いトタン屋根の猫』などの南部三部作がよく知られているし、これら作品はすべて映画化もされている。
1960年にシドニー・ルメット監督により映画化された、邦題が『蛇皮の服を着た男』は、脚本の原題はテネシー・ウィリアムスが映画用に『The Fugitive Kind』としたが、原作はテネシー・ウィリアムズの戯曲『地獄のオルフェウス』だ。この戯曲を含めてテネシー・ウィリアムスの映画南部三部作の番外編ともいえる作品で、南部四部作ともいえよう作品。
1960年にシドニー・ルメット監督により映画化された、邦題が『蛇皮の服を着た男』は、脚本の原題はテネシー・ウィリアムスが映画用に『The Fugitive Kind』としたが、原作はテネシー・ウィリアムズの戯曲『地獄のオルフェウス』だ。この戯曲を含めてテネシー・ウィリアムスの映画南部三部作の番外編ともいえる作品で、南部四部作ともいえよう作品。
『蛇皮の服を着た男』は、主演はマーロン・ブランドで、蛇皮のジャケットを着たニューオリンズのギターリストである30歳のミュージシャンはバル・ゼービアを演じている。彼は酒場で暴力沙汰を起こして拘置所に拘留され、やがて町を出て放浪するが、或る南部の町でカタギになり生活をする決意をする。
彼は旅先で、南部の田舎町ツーリバースで、或る夜に車がエンコしてしまい、保安官の家に一夜を温情で泊めてもらう。保安官の奥さんの好意で町の雑貨店に就職を斡旋してもらい就労するバルであったが、勤めたお店で、偏見と因習にみちた土地での悲劇的な末路をやがて迎える。
この物語は、或る南部の田舎町での差別と偏見と因習のために葛藤する女たちのドラマなのだが、そこへ流れ者の野性的な詩人のような男がやってきて物語は錯綜する人間劇である。この男は蛇皮の服を捨てて、社会に順応しようとするが、プリミティブな野生の方向へ牽引する若い女、コミュニティーに受け入れながら私的な欲望を男に向ける夫人など、さらに女たちをめぐる男社会の視線と葛藤が大まかな物語のあらすじとなる。
つまり、『ワイルド・アット・ハート』という映画は、B・ギフォードの、『蛇皮の服を着た男』へのオマージュであり、『ワイルド・アット・ハート』のセイラー役のニコラス・ケイジが着ていた蛇皮のジャケットは、あのマーロン・ブランドが着ていた服と考えて思わしいのである。テネシー・ウィリアムズの『The Fugitive Kind』と、ライマン・フランク・ボームの『オズの魔法使い』を読んでいたら、デヴィット・リンチの映画『ワイルド・アット・ハート』は、更に面白く観られるであろう。
さて、、『ワイルド・アット・ハート』のあらすじを以下に述べつつ閑話放題としておこう。映画の冒頭の映像であるオープニングは、マッチを擦るクローズアップ場面、このマッチを擦る場面は映画のなかで何度も登場する印象的な映像でもある。
次に炎が燃え上がる場面、この火災の映像も何度もカットで登場する。物語はアメリカ南部ノースカロライナのケープフィアーからサウスカロライナ州境のどこかで開催されているパーティ会場から始まる。
恋人のセイラー・リプリーとルーラ・ペース・フォーチュンは、階段を降りパーティーの開場を去ろうとしていたが、そこへ黒人のボブにナイフで襲われて、それを素手で過剰に防衛して故殺してしまう。死んだボブを金で唆してセイラーを襲わせたのはルーラのママだった。ルーラのママは、ルーラの恋人セイラー殺しに失敗したわけである。
ボブ殺しでセイラーは22ヶ月と18日後に矯正施設から保釈されたが、恋人のルーラに逢いに行くも、またしても、ルーラのママに二人は仲を裂かれてしまう。ルーラはもう20歳になっていた。そしてセイラーは22歳となり、ルーラは家出を決して、セイラーは執行猶予中でありながらも、二人は街を出て、世界のはてまで逃走する。
ここから映画の物語はアメリカ深南部のロードムービーとなり、二人は1958年型ビュイック・リミテッドでニューオリンズをまずは目指す。この二人をルーラのママであるマリエッタ・ペイス・フォーチュンは、友人のシャーロットの私立探偵ジョニー・ファラガットに頼み二人の姿を追わせる。
ジョニーはマリエッタからセイラーを殺すように依頼をするが、ジョニーはそれを断った。ただしジョニーはセイラーからルーラの奪還を約束してニューオリンズへ走り二人を追う。
マリエッタは暗黒街の顔役のマルセル“クレイジーアイズ”サントスにセイラーの暗殺を依頼する。しかし、それには条件があり、ジョニーも一緒に殺すという事だった。殺し屋の組織を探偵のジョニーに嗅ぎつけられたくないのが、その理由だった。
マルセルは殺し屋の元締めミスター・レインディアにセイラーとジョニー殺しを依頼する。ミスター・レインディアはニューオリンズのフアナ・ドゥランゴに命じて、レジーとドロップシャドーの3人でジョニーを始末する件を引き受ける。
ミスター・レインディアは、テキサスのある町に暮らすフアナの双子の妹ペルディータ・ドゥランゴにセイラー殺しを命じた。ジョニーは3人の刺客に後頭部から銃弾を近距離で受けて落命してしまう。
テキサス州のビック・ツナの町にセイラーは、昔の仲間であったペルディータ・ドゥランゴにマルセルやマリエッタの動向を訊きに行くが、実はセイラーは昔にマルセルの運転手をしていたのだ。ルーラのママであるマリエッタは夫であり、ルーラのパパを、マルセルに殺させたことをペルディータから聞き、ルーラのママの暗黒面をセイラーは知ることになる。そして、ルーラのママに命を狙われる事実を知る。
さてさて、これ以上のあらすじを述べると物語のミステリー性を暴いてしまうので止めておこう。セイラーとルーラはビッグ・ツナの町にあるモーテルで住人たちや流れ者と交流するが、そこでボビー・ペルーという元海兵隊の奇妙な男とセイラーとルーラは出逢う。
この場面で飲まれるウィスキーが“ジャック・ダニエル”である。このウィスキーはテネシー州で製造されている蒸留酒なのだが、お隣のケンタッキー州で作られているバーボン・ウィスキーとは区別されて、バーボンとは呼ばずに“テネシー・ウィスキー”と呼ばれている南部の酒だ。
さてさてさて、ルーラのママであるマリエッタは娘への過剰な偏愛だけではなく、自分の夫殺しを知っているかもしれぬセイラーをこの世に生かしてはおかなかったのであるが・・・・・・
ビック・ツナに着いた夜にモーテルでボビー・ペルー(ウィレム・デフォー)という元海兵隊員と逢い、その翌日にボブから飼料工場の金庫から5000ドルの現金強奪の犯罪に誘われる。40ドルしかなく、おまけに妊娠したルーラの事と未来を考えると心揺らぐセイラーだったが、ボビーの計画する犯行に加わるハメとなる。
この現金強奪には失敗してしまうが、この銃撃戦が凄惨でたまらなく悲惨な場面。サム・ペキンパーの暴力描写を超えてグロテスク過ぎるくらいの演出なのである。
私立探偵ジョニー・ファラガットが椅子に縛り付けられて殺されるシーンも緊迫して凄い場面。殺人が凄いというより、殺しを行う女のサディズムとエロティックな昂揚が臨場感として場面に展開して肝が冷える。
原作ではジョニーは殺されないし、晩年にマルセル・サントスとマリエッタの3人で暮らすことになるのだが、映画では三角関係からもジョニーは殺されることになる。
原作と全く違うのは最後の場面であろう・・・・・・、映画ではハッピーエンドで終わる意外な感動的な場面でもある。この終幕の前にセイラーは9人の暴漢に襲われ気絶する。意識を失ったセイラーは、夢の中で南のよい魔女グリンダに助言される。
さてさてさて、ルーラのママであるマリエッタは娘への過剰な偏愛だけではなく、自分の夫殺しを知っているかもしれぬセイラーをこの世に生かしてはおかなかったのであるが・・・・・・
ビック・ツナに着いた夜にモーテルでボビー・ペルー(ウィレム・デフォー)という元海兵隊員と逢い、その翌日にボブから飼料工場の金庫から5000ドルの現金強奪の犯罪に誘われる。40ドルしかなく、おまけに妊娠したルーラの事と未来を考えると心揺らぐセイラーだったが、ボビーの計画する犯行に加わるハメとなる。
この現金強奪には失敗してしまうが、この銃撃戦が凄惨でたまらなく悲惨な場面。サム・ペキンパーの暴力描写を超えてグロテスク過ぎるくらいの演出なのである。
私立探偵ジョニー・ファラガットが椅子に縛り付けられて殺されるシーンも緊迫して凄い場面。殺人が凄いというより、殺しを行う女のサディズムとエロティックな昂揚が臨場感として場面に展開して肝が冷える。
原作ではジョニーは殺されないし、晩年にマルセル・サントスとマリエッタの3人で暮らすことになるのだが、映画では三角関係からもジョニーは殺されることになる。
原作と全く違うのは最後の場面であろう・・・・・・、映画ではハッピーエンドで終わる意外な感動的な場面でもある。この終幕の前にセイラーは9人の暴漢に襲われ気絶する。意識を失ったセイラーは、夢の中で南のよい魔女グリンダに助言される。
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(セイラーは弱気だった。)
(セイラーは弱気だった。)
「俺のハートはワイルドだ・・・・・・」(ルーラは外の世界がワイルドなのを嫌悪している)
(よい魔女は述べる。)
「本当にハートがワイルドなら夢を目指して戦うのよ、愛に背を向けないでセイラー」
「・・・・・・」
「愛に背を向けないでセイラー、愛に背を向けないでセイラー」
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アンジェロ・バダラメンティの音楽も最高の出来栄えで、ジャズ、ロック、オールディーズからスラッシュ・メタルな曲まで幅広く充実している。なかでも主演のニコラス・ケイジが歌うエルビス・プレスリーの『ラブ・ミー』と『ラブ・ミー・テンダー』は感動ものである。
デビッド・リンチの前作『ブルーベルベット』で、薬中のフランク役だったデニス・ホッパー、粋なオカマのベンも、とてもミゴトなイカレぷっりの演技だったが、『ワイルド・アット・ハート』ではボビー・ペルー役のウィレム・デフォーと、フアナ・ドゥランゴ役のグレース・ザブリスキーが強烈に怖い衝撃的な演技力であった。
はてまて、この映画のセイラーとルーラの二人の熱いハートは深南部の荒野を焼き尽くす物語として、テネシー・ウィスキーよりも熱度は熱く語りつがれる作品である。