1980年に、オーストリア、西ドイツ、フランス合作による『エゴン・シーレ(愛欲と陶酔の日々)』は、日本で公開されたのが1983年である。
この映画を観終わってまず思ったのは、マルグリット・デュラスの『インディア・ソング』である。映画の演出的な手法がデュラスを思わせたのである。1985年に俳優座シネマテンで本邦初公開された『インディア・ソング』は、デュラスの原作を自ら監督して映画化された1975年の仏映画。
そのデュラスの作品に、『エゴン・シーレ』の映画で主役のマチュー・カリエールという男優が『インディア・ソング』に出演していた。ボクの直観による二つの映画の接点はそれだけのようだが、詳細については判らない。
さて、『エゴン・シーレ』であるが、監督はヘルベルト・フェーゼリー、脚本は監督とレオ・ティシャット、撮影はルドルフ・プラハチェック、音楽はブライアン・イーノである。
キャストは主演にエゴン・シーレを演じる1950年にドイツに生まれたマチュー・カリエール、エゴンの恋人にジェーン・バーギン(1946-)、エゴンの妻にフェリクス・カウフマン。
劇中の音楽にはメンデルスゾーンとアントン・フォン・プラインチェックの曲に、オープニングにブライアン・イーノの曲が印象深く、全編にイーノによる楽曲が表層にある。
俳優たちは内面を内省的に演じず、情念を抑えて、情動を抑制して、余計な演技をできるだけ縮小して、喜怒哀楽の熱度を半減しながら、ドラマは冷徹なカメラワークで無機的に映し出されていく。
そのことにより、俳優たちの演技力が眼だけで、動かない表情だけで、セリフのない言葉となって映像化されている。カメラに映し出される自然も人物もそれ故に詩的で美しく描写される場面ばかりだ。
映画の物語が少々ながら複雑にも思える構造には、主人公の回想、追想、幻想、妄想が時系列を失くしているとこにあろう。また主人公の回想シーンなのか、回想されている登場人物の妄想なのか判然としないミステリアスな場面もある。
それが映画冒頭の出来事と、その事件からエゴンが投獄される物語の序破急の序である最初の展開にある。破は、エゴンの恋人のヴァリー・ノイツィールとの恋の破局にある中盤で、急は、エゴンは結婚して軍に徴兵され、やがて美術界で認められた矢先に28歳で亡くなる結末部にある。
序の部分では、15歳の少女タチアナが物語に大きくエゴンの人生を作用する。破では、ヴァリーのエゴンに対する献身と、エゴンによるヴァリーへの裏切りが錯綜する。急では、エゴンの結婚と成功そして第一次世界大戦の渦に巻き込まれる姿が描かれる。
エゴン・シーレ(1890-1918)は、16歳で絵の才能を見い出され、ウィーン美術アカデミーに入学した。因みに、このアカデミーに一歳年上のアドルフ・ヒトラーが同時期に何度か受験しているが、彼は入学できなかった経緯がある。
3年後にアカデミーを脱退して、若い画家たちと結成した“新芸術グループ”の名で展覧会を開き、ライニングハウス男爵というスポンンサーを得た。21歳の時に恩師であるグスタフ・クリムトのモデルであり恋人でもあったヴァリーと同棲をはじめる。このヴァリー役をジェーン・バーギンが美しくも鮮烈に演じている。
映画の物語では、冒頭でウィーンの郊外にあるエゴン・シーレ(マチュー・カリエール)のアトリエがあるノイレンバッハの美しい風景が映し出される。
ウィーン郊外の森、森の奥に小高い山がある。その森ととても広い平野の境にエゴンのアトリエはある。平野の地平にノイレンバッハの古城が遠く見える。閑散と静かな田舎町の外れにそのアトリエは佇んでいる情景が第一場面である。
ヴァリーはグスタフ・クリムトのモデルであり愛人でもあったが、恩師クリムトからヴァリーを引き受ける。そしてノイレンバッハでエゴンと二人で静かに生活していた。
二人は、或る激しく雨の降る夜に、アトリエの外で雨に濡れそぼる少女を見つける。少女を屋内に匿うが、その少女は父親が厳格のため家出してきたらしい。少女はウィーンに暮らすお祖母ちゃんの家に行きたいらしく、その夜はアトリエでヴァリーとベットで一緒に寝て、エゴンはソファーで寝た。
少女は15歳のタチアナと名乗る娘だが、翌日に鉄道でヴァリーとエゴンはタチアナと三人でウィーンを目指す。しかし、娘は家出を思いとどまり三人でノイレンバッハに戻った。
エゴンのアトリエにタチアナの父が近所の噂を聞きつけてやって来る。タチアナの父はエゴンを少女誘拐罪で告訴した。やがて官憲がエゴンと彼の絵画作品を押収して拘留される。ここまでが1912年初夏の映画冒頭での出来事となる。
やがて裁判となりタチアナは、エゴンのモデルとして卑猥な行為を受けたと偽証する。そのためにエゴンは劣悪な環境の拘置所に閉じ込められて精神がやがて破綻していくのであった。
拘留されたエゴンをヴァリーは献身的に無罪放免を裁判所に届けたり、エゴンの母と姉に力を求めたり、貧しい生活のためエゴンの作品をお金にして弁護士を雇う。
このヴァリーの献身的な愛はとても美しい。或る日、拘置所へ“オレンジ"をエゴンに与えるために買って、収監された彼の二階の鉄格子のはまった窓へ、そのオレンジを投げ入れる場面では思わず泣けてくる。牢屋の中のオレンジの輝きはまるでヴァリーの愛の輝きそのものである。
牢獄でエゴンは少女タチアナを回想する。ヴァリーとの出逢いを追想する。クリムトのアトリエでヴァリーやモデルたちの姿が思い浮かべる。そして、やがて、精神は懊悩の末に破綻してしまうが、ヴァリーの献身の末に40日以上の収監から解放された。
再びエゴンは作家活動をはじめる。アトリエにモデルたちを集める。それを少女タチアナが自転車でエゴンのアトリエを通りがかり、モデルの裸の女たちを見る。
この場面は過去の、つまり投獄前の、嵐の夜に少女と出逢う冒頭の場面より前の出来事。ヴァリーがエゴンに少女を家に匿うときに、「知っている娘?」と質問した時は、エゴンは「知らない娘だ」と答えたが、二人はお互い知っていた事になる。
映画の冒頭で不安そうな少女の表情が印象深いが、このエゴンとタチアナの出逢う場面の、少女のエゴンに対する笑顔には明らかに愛情がみえる。エゴンも少女に強く惹かれていた。
物語は過去と現在が交差して回想や幻想が錯綜するが、唐突すぎるくらいにエゴンとエディット(クリスティーネ・カウフマン)の愛の関係がはじまる。エディットもエゴンのモデルとして映画では描かれている。このあたりはリアルさを欠いてみえるかも知れないが、映画を観るものに、想像力を働かせる手法となっている。
エディットとの関係を知ったヴァリーはエゴンとの別れを選択する。別れにヴァリーは泣く、慟哭したいだろうが哀しみを抑制して泣きじゃくる。この抑えられた涙にジェーン・バーギンの苦悩の演技が悲しみを誘う。
そして、その後のヴァリーが映し出される短い三つの場面が、悲劇的に、退廃的に、美しくも、哀しい女の姿を浮かび上げる見事な映像である。
最初のカットはクリムトのアトリエでエゴンとの別離からの再会シーン。二人は遠くでお互い見つめ合う。ヴァリーの手には“アブサン"の入ったグラスがある。胡乱で空虚の眼をしたヴァリーの無表情がアブサンの色合いと同調している。愛を失い緑の酒で満たしきれない悲しみの姿を・・・・・・。
次は第一時世界大戦にヴァリーは従軍看護婦として志願し野戦病院での場面。ここでヴァリーは看護婦というよりも従軍慰安婦のように性的に男と戯れる短いショットがある。
そして最後のヴァリーの場面はロングショットで映し出される。横たわるヴァリーは怪我をしているのか病気なのか、まるで死人のように見える。医者の言葉がやがて聞こえる。バリーは末期の梅毒で戦場で倒れた。僅かに生きているのを感じるようなジェーン・バーギンの演技に、苦しくなる、切なくなる、涙が溢れてくる。
物語は後半に入る。エゴンも徴兵される。彼は後方支援部隊に配属される。軍隊生活でエゴンは妻のエディットが浮気していると妄想して嫉妬で懊悩する。やがて戦役を逃れてエゴンは画家として成功する。
しかし、当時、流行していたスペイン風邪にエディットは感染して倒れる。献身的に看病するエゴンの姿は妻への愛を痛く感じる。そしてエディットは自分が命が燃え尽きるのを感じてエゴンに最後の愛を求めて情を交える。そのことによりエゴンもスペイン風邪に感染してしまう。
妻の葬儀に出られず倒れたエゴンもエディットの後を追う。エゴン・シーレ28歳の生涯であった。
この映画で、銀幕の中で、一際、印象的な女は、少女タチアナではなく、妻のエディットでもなく、やはりヴァリーであろう。ヴァリーのエゴンへ放った黄金色に輝く愛の“オレンジ"と、エゴンの愛を失ったヴァリーの手にしたグラスの、哀しい退廃の緑色の光彩を放つ“アブサン"が印象に残る。