映画と食卓(銀幕のご馳走)その3『パルプ・フィクション(ミルクセーキ)』 | 空閨残夢録

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デカダンよりデラシネの戯言





 心正しき者の歩む道は、心悪しき者の利己と暴虐の不正によって包囲される。
 
祝福されるべきは、愛と善意の名において暗黒の谷で弱き者を導く者。
 
 なぜなら、彼こそが兄弟を守護する者にして迷い子たちを見出す者だからだ。
 
そして、おまえがわたしの兄弟を毒し、滅ぼそうとするとき、
    
わたしはおまえに激しい怒りでもって大いなる復讐の鉄槌を下す。
 
わたしがおまえに復讐の鉄槌を振り降ろすとき、
    
おまえはわたしが主であることを知る。



 クエンティン・タランティーノ監督による1994年の映画『パルプ・フィクション』で、サミュエル・L・ジャクソン演じるギャングのジュールスが、裏切り者を射殺する前に、旧約聖書のエゼキエル書25章17節だと言って聞かせる文章が上の一文。この言葉は最後のエピローグでも再び登場する。そしてプロローグと連関もしてもいる一節。

 しかし、この語られる言葉は本邦で翻訳された旧約聖書よりも、映画のなかのセリフとなっているのは文学的な構文で、言葉の響きを秘めたレトリックの文脈をなしている。ついでながら以下に、日本で翻訳された旧約聖書のテキストのエゼキエル書25章17節を記せておこう。

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わたしは、彼らを憤りをもって懲らしめ、大いに復讐する。
 
わたしが彼らに仇を報いるとき、
    
彼らはわたしが主であることを知るようになる。





 『パルプ・フィクション』は、ひとつの作品が、3つの物語により、時系列的にチャプターが主役と脇役が入れ替わりながら進行する構成で展開する。これはオムニバス形式ではなく一連の繋がりはリアルに全体としてあるのだが、3つのアンソロジーは結末に収斂し整合されていく独特の演出となる。

 個人的に好きなエピソードは「金時計」の物語。これは落ち目のボクサーを演じるブルース・ウィリスことブッチのお話し。八百長の試合で5回戦でノック・アウトされるハズが、暗黒街の顔役マーセル・ウォルレスを裏切って試合相手を殴り殺してしまう。

 当然にマフィアに追われるハメとなったブッチだが、 恋人ファビアンと逃走しようとしたが、ファビアンがブッチのアパートから金時計を忘れてしまう。この時計は曽祖父の遺品で、祖父、そして父へと受け継がれた大切な遺品、ブッチの大切な命よりも大事な宝物であった。

 この宝である金時計を幼い日にベトナム戦争で死んだ父の遺品を持って、ブッチの前に亡き父の戦友が訪れる。短い場面だがクリストファー・ウォーケンがクーンツ大尉として登場するのが味があり重厚な名演と存在感を与えている。これにより金時計は大きなオブジェとして映画の物語で輝きを見せている。



 別なエピソードでザ・ウルフを演じたハーヴェイ・カイテルも短い場面の登場だが一際存在感を誇示しているのが印象的。この場面でタランティーノ監督も役者として出演しているのが見所である。

 アクション的な要素でいえば、ブッチが敵と戦う場面で、最初にハンマーを持つけど、止めて、バットを持つけど、電動のチェンソーに替えたが、日本刀に眼が入り、それを武器に決めて切り込むシーンが最高ですネ。これで狙われているマーセルを助けるのも心情的にスバラシイ場面であろう。これは日本的な仁義と義侠心を感じさせてくれる名場面である。




 暗黒街の顔役マーセルの妻役をユア・サーマンが演じているが、ジョン・トラボルタと“ジャック・ラビット・スリム”という1950年代をテーマにした秘宝館みたいなレストランで、二人がツイストを踊るシーンも最高の演出場面である。

 このレストランで、トラボルタ演じるビンセント・ベガが注文したのは、飲み物が“ヴァニラ・コーク”に、食べ物は“ダグラス・サーク・ステーキ”である。このステーキはいわゆるガーリック・サーロイン・ステーキだと思われる。

 ユア・サーマン演じるミア・ウォレスがオーダーした飲み物は、なんと5ドルもする“マーティン・ルイス”というミルク・シェイクと、“ ダーワード・カービィ・バーガー”というハンバーガーだった。

 5ドルもする飲み物に対してビンセントはバーボンでも入っているのかとウェイターに尋ねるが、どうやらアルコールなど添加されていない所謂純正なミルクセーキである。このミルクセーキにはチェリーが一粒飾られているが、ミアはこのチェリーを口の中で弄ぶようにおしゃぶりするシーンはお下品ながら妖しくカッコイイ場面である。

 このミアが弄ぶ赤いチェリーはマラスキーノ・チェリー(Maraschino cherry)であろう。アイスクリームやパフェなどの添え物としてよく使われる、砂糖漬けされた甘く赤いチェリーだが、このマラスカ種の本物であるタイプはなかなか日本では入手できない。

 日本に流通しているのは「マラスキーノ・スタイル・チェリー」であり紛い物である。色の薄いチェリー(ロイヤルアン種、レイニアー種、ゴールド種など)から作られ、収穫したチェリーを、まず塩水に浸し、それから着色剤、シロップ、アルコール、香味料などに漬け込む。赤く染めたチェリーはアーモンドの、緑に染めたチェリーはミントの香りを付けらることが多い。

 「マラスキーノ」は、チェリーの1種であるマラスカ種と、それから作られるリキュール(昔は酒にチェリーを漬け込んだ)に由来する名前。元々は王族や裕福な人々のための愉しみとして生産され消費されてきたチェリーだが、19世紀に初めてアメリカに輸入され、高級なレストランで供されるようになった。

 20世紀になるころには、アメリカの生産者は現在のように、このチェリーに、アーモンドのエキスでフレーバーするようになった。1920年代の禁酒法時代に、現在のようにアルコールではなく、塩水を用いる方法が考案されるようになった。したがって、現在のマラスキーノ・チェリーは、アルコール飲料である酒類の「マラスキーノ」とは関連がない。

 イタリアのサクランボを原料にしたリキュールで、ルクサルド社の製品のマラスキーノはマラスカ種のサクランボが原料に、フランスはマルニエ・ラポストル社のチェリー・マルニエと、デンマークのヒーリ ング・チェリー・リキュールは、グリオット(griotte)種を原料としているようだ。

 5ドルもするミルクセーキだから、ミアの口にしたチェリーはフランス製のコアントロー漬けのグリオッティーヌだとも考えられるが、ミアはチェリーを口で弄ぶだけで食べず終いで、トイレでコカインを吸引し、帰宅後に更に薬物を摂取して瀕死の状態に見舞われる。ビンセントの必死な介護で一命をとりとめるミアだが、ビンセントは次のチャプターでブッチに命を奪われる展開となる。

 さて、ミルクセーキとは、つまり、ミルクと砂糖と卵をシェイクした飲み物で、アルコールの添加されないカクテルともいえるが、酒類を添加すればエッグノッグというカクテルになる。マンハッタンというカクテルにはマラスキーノ・チェリーが添えられるが、タランティーノ監督はこの映画で酒を登場させないのが興味深いけど、麻薬と暴力は全開に登場するノワール作品である。

 ハードボイルドの小説や映画では、酒やカクテルは重要なアイテムであるが、タランティーノ監督の映画ではアルコールの気配が無いのが面白いといえる。(了)