エロスの劇場 #② 『牢獄のマルキ・ド・サド』 | 空閨残夢録

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デカダンよりデラシネの戯言

 


 2000年製作の米国映画は『クイルズ』を観る。監督はフィリップ・カウフマンで、代表作は『存在の耐えられない軽さ』(1988年)の作品がある。物語は悪名高き放蕩貴族のサド侯爵の晩年を描いた作品で、出演はマルキ・ド・サドをジェフリー・ラッシュが演じている。

 サド侯爵に惹かれるシャラントン精神病院で働く小間使いの乙女をケイト・ウィンスレットが演じていて、病院を管理運営するカトリックの信仰深き神父をホアキン・フェニックス、皇帝の特命によりサド侯爵を治療するために派遣された科学者のコラール博士をマイケル・ケインが演じている。

 “クイルズ”(Quills)とはフランス語で羽ペンの意味である。サド侯爵はシャラントンの精神病棟で 、かの悪名高き発禁本の『ジェスティーヌ』、『ジュリエット物語』、『恋の罪』などを執筆する。寛容なアッベ神父のもとでサド侯爵は思うまま淫らな、余りにも猥らな小説を書き続ける。

 この書かれた猥雑な物語は世間に流失して、出版され、話題を呼び売れてしまう。そこで、ナポレオン皇帝の目に届き怒りを招くことになる。サドの死刑を目論んだ皇帝だが、家臣の進言により、侯爵の去勢のためサディスティックで博愛的な医師を派遣することになるというお話が主なあらすじ。

 この皇帝により派遣された科学者にして医師のコラール博士を嘲笑するために、サド侯爵は病棟で開かれる演劇で一芝居うつのであった。このお芝居がたまらなく面白い仕掛けとなっている。

 リベルタンのサドと、そのサドに惹かれる乙女、そして乙女に心惹かれながら信仰のため情熱を鎮める神父、科学者で医師で道徳的な顔をしながら修道女を籠絡する偽善者、そしてサド侯爵夫人の思惑などがからみ物語はすすむのだが、精神病院を舞台に快活な秀作である映画だ。





 リベルタンとは、17世紀においては独立精神および伝統への敵意を示す思想と表層的には意味している。したがって信仰および宗教的行為に従うことを拒否する者を意味していた。18世紀において、その意味は道徳上の放埒にまで拡大されたのだが、放蕩児の意味に用いられた例もあり、リベルタンは宗教的戒律に対する不服従から、キリスト教の性的束縛に対する不服従へと徐々に変化していたが、サド侯爵は両義的にリベルタンとして生きた人物である。

 またリベルタンはルネサンス思想と啓蒙思想をつなぐ役割を果たす思想家であり、革命のおりサド侯爵はバスティーユの牢獄に当時は収監されていたのも歴史的な因果であろう。いずれにしてもサド侯爵の74歳の人生の後半は牢獄と精神病院で過ごしていたわけで、サドの創作のエネルギーは抑圧された環境から生み出されていたといえる。

 ボクがサドを初めて知ったのは澁澤龍彦の翻訳による桃源社の「サド選集」が最初で、この全集には『サド侯爵の生涯』が小説集の巻末に伝記があった。この『サド侯爵の生涯』から三島由紀夫は戯曲『サド侯爵夫人』を創作したわけである。

 澁澤のサド観は、徹頭徹尾、地中海的な伝統の上にたつ、18世紀のリベルタンとしてのそれであったが、しかし、三島のサド観は、これといくらか相違していたと澁澤は後に述べている。澁澤のサドが、明るい幾何学的精神のサドとすれば、三島のサドは、暗い官能的陶酔のサド、「神々の黄昏」としてのサドだったと澁澤は回想している。

 澁澤龍彦の『サド侯爵の生涯』が上梓されたのが昭和39(1964)年のことであるが、三島は読了して澁澤に手紙で「サドが実生活では実に罪のないことしかやっていないのを知り、愕きました」と書いてきて、書評では「実にこの伝記を通読すると、すべては呆れるほどノーマルなのにおどろかせれる」と書いている。アブノーマ ルを期待 していたのに、ノーマルだったのでがっかりした、とでもいっているかのような調子であったそうな。

 ボクも実は読了後に三島と同じような感想をもった。青髭のジル・ド・レイみたいな怪物のような人生をサド侯爵は送っていたと読む前に勝手な想像を逞しくしていたのである。




 サドの起こした事件は1768年のアルクイユ事件と、1772年マルセイユ事件が公になって収監された。アルクイユ事件はローズ・ケレルという女性をメイドに雇うと騙して別荘に連れ込み、そこで笞打ちにして陵辱した事件で、マルセイユ事件は更に乱交は過激だった。

 サド侯爵はこの事件で娼婦たちに斑猫の粉末を媚薬に用いた。この媚薬は“カンタリス”という名前で、カンタリジンを含んだ媚薬として巷間伝わる毒薬でもある。

 マルキ・ド・サドの小説に、『悪徳の栄え』の女主人公であるジュリエットは、カンタリス入りのボンボンを忍ばせて、見境い無く毒殺を繰り返す犯罪を犯すのだが、現実にサド侯爵は、このマルセイユ事件でカンタリス入りボンボンを娼婦に食べさせて、放蕩行為で使用し事件となる。

 この事件で街娼マルグリット・コストは、膀胱炎と尿道炎を患い排尿が困難になる後遺症が残ることになった事が伝わる。

 余談だが、ルネッサンス期にチェザリー・ボルジア(1475-1507)と、その妹である ルクレチア・ボ ルジアは、 秘蔵の毒薬“カンタレラ”を用いて、ローマ法王や権力者と手をくみ、暗殺を繰り広げたのは有名なお話。

 ボルジア家の毒薬のレシピは残っていないが、カンタレラはサド侯爵が媚薬に使用した“カンタリス”と同じく、カンタリジンを含有していたのは間違いないと思われる。

 さて、サド侯爵は2つの事件の容疑でヴァンセンヌの牢獄に、後にヴァスティーユへと収監された。そして革命後はシャラントンの精神病院に送られて生涯を終える。

 牢獄にいたマルキ・ド・サドは妻に食品や生活に必要な物品を所望した手紙が残っており、その一つに葉巻のケースがある。葉巻を所望したワケではなくて、葉巻の入れ物を求めたわけだ。

 現代では葉巻の入れ物はアルミ製のケースが主流である。葉巻はタバコと違い湿っている状態なので、乾燥を防ぐために包装されている。タバコは乾燥された状態なので湿度を避けるようになっている。葉巻は湿度により発酵して熟成状態にあると想像して頂ければよかろう。

 そこでサド侯爵は葉巻を吸わずに何故?・・・・・・葉巻ケースを、牢獄で望んだかというと、肛門に挿入にして自慰行為をするための器具に必要だったのである。

 牢獄のサド侯爵は想像力で自慰に耽るだけでなく、言葉で、淫靡な妄想を発現してリビドーを開放する。その壮大なポルノグラフィーをシュルレアリストたちと、ジョルジュ・バタイユ、ピエール・クロソフスキー、シモーヌ・ド・ボーボワール、そして、現代思想家たちは、それをフランス革命が産み落としたもうひとつの哲学とみなし、牢獄の文学と讃えた。