三島由紀夫のエロティシズム#5『身体と衣装』 | 空閨残夢録

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 三島由紀夫の“褌(ふんどし)"フェティシズムは、その昔に有名であった。四文字の熟語に「緊褌一番」という成句があるのだが、大勝負の前に、或いは、難事などをむかえる心構えなり、気合を入れて事に望む意気込みを表わす意である。つまり、「緊褌」とは、六尺ふんどしを固く引き締めることで、大事の前に心意気を引き締める思いがこめられている。

 緊褌という言葉があるように“フンドシ"とは、いわゆる下着にしてボンデージであり、局所を隠す最小の衣装でもある。アダムとイヴが無花果の葉で陰部を覆ったのが人類の最初の衣装であろうが、褌はお相撲さんが締めている例もあり、闘技や軍(いくさ)と関係した衣装でもある。そんなところから「緊褌一番」のような言葉もある。

 相撲でもわかるように褌はきつく締めていないと勝負にはならないのであるが、エロティシズムという視点で褌をみてみると、性的器官への緊縛が精神に及ぼす緊張感となってある種の恍惚感を与えるし、観る者へもフェティッシュな感覚をよびさます。

 世には褌マニアという者も存在して、アンダーグランドの小説から、その一例を以下に引用してみよう。



「僕が初めて褌を締めたのは越中褌です。しばらくは満足しておりましたが、しばらくすると物足らなくなり、変わったものを締めてみたくなりました。モッコ褌、水泳褌、六尺褌と次々と代えてみました。ところが六尺褌の緊張感のすばらしさと共に何んともいえぬ快感を知った時から、僕は完全に六尺褌の囚となってしまいました。

 その後、現在に至るまで四六時中、六尺褌を着用しており、そして赤、黄、黒といろいろ色を変えてみましたが、やはり六尺褌はなんといっても白が一番良いようです。真新しいサラシの六尺褌を締めた時は心身共に爽快となり、元気が増すのをおぼえます。しかし、六尺褌もサラシの新しい間は、しっかりしていますが、何度も洗い返すと布が弱ってきます。すると、締めあげた時の快感も、それに従って減るように思います。」

(愛知輝一『褌に憑かれた男』) 



  緊褌の六尺褌を締め身につけるのは、かなりメンドウなフンドシでもあるのだが、マニアになると日夜コレをしめずにはいられなくなる輩もいるのである。



「巻きおわった軍刀を腰の前に置くと、中尉は膝を崩してあぐらをかき、軍服の襟のホックを外した。その目はもう妻を見ない。平らな真鍮の釦をひとつひとつゆっくり外した。六尺褌の純白が覗き、中尉はさらに腹を寛ろげて、褌を両手で押し下げ、右手に軍刀の白刃の握りを把った。そのまま伏目で自分の腹を見て、左手で下腹を揉み柔らげている。」

(三島由紀夫『憂国』)



 三島美学ならずとも、常識からいっても切腹には六尺褌が一番相応しい装束であろう。切腹には越中褌やパンツではサマにならないと思われる。そして刺青にも六尺褌はよく似合う男気の衣装であろう。褌という急所なり恥部を隠す衣服としては、表面積がギリギリ最小なものである。また、この衣装は緊縛という緊張を肉体に与えて精神に作用する下着でもある。

 精神とは、集中し、働いている心であり、心とは、分散し、休んでいる精神である。力には集中と分散の相互作用が均衡し必要となる。英語では “stuff "が“集中(かたまり)"であり精神を表わし、“dust "が“分散(ちり)"であり心を表す。

 衣装も精神や心に作用する重要なコスチュームであり、例えば、六尺褌は精神に作用し、越中褌は心にゆとりをもたらすはき心地なのである。

 現代の生活において褌を下着として着用することは無くなったが、今でも祭礼などで褌は身につけられている。ボクも過去に祭りで六尺褌を何度か身につけた経験がある。

 三島由紀夫は市ヶ谷での割腹自決の際に、軍服の下に六尺褌を身につけていた。この褌はパンツと違い、ギュッとひきしまる感覚で、しめてみると体全体までが、否、精神までがグット緊張を及ぼし、ある種の恍惚感さえ覚えてくるはき心地なのである。

 暑い夏の日にステテコ姿もよいが、また越中褌の緩やかな感じもよいであろう。仕事には気を引き締めて六尺褌、お家では心休めて越中褌という生活のスタイルが、精神と心にバランスをもたらし、気分転換になろう。

 されど越中褌も明治期に軍隊で採用され官給された。それは装着の利便性が重視されたからである。「褌」という漢字はコロモ偏に「軍」と書くが、古代からの軍服の名残であるのかも知れない。