きまぐれの国道1号徒歩の旅 -124ページ目

滋賀県湖南市を流れる野洲川の南沿いを南東へ進んできた

東海道・国道1号旧道区間は、三雲駅口交差点を通過すると

高度を上げながら大きく左へと曲がっていきます。

 

 

歩道が東行・西行側ともになくなったJR三雲駅付近で

一旦側道から高架下に降り、457.1km地点を通過します。

 

 

 

側道はすぐにのぼり、東海道に戻ります。

 

ここで車道には、次の朝国交差点の予告案内が示されました。

右の甲賀・四日市方面へ進むと、国道1号現道と合流します。

 

 

県道13号の終点は朝国交差点とされているようですが、

国道1号が朝国交差点を経由しないルートに変更された影響か、

交差点先で国道1号と合流するまでは

県道13号がまだ継続となる模様です。

 

また、左折先の近江八幡方面は途中で県道13号に戻る形で

つながっており、同じ13号に指定されているようです。

 

 

 

ここで、石部大橋から東へ7つ目、

野洲川に架かる湖南市最後の橋「横田橋」に入り、

東海道がついに野洲川を渡ります。

 

 

しかし、西行側では歩道はおろか、

歩行者の通行できるスペースさえも完全になくなってしまいます。

 

 

 

一方、東行側では歩道が確保されているようなので

先ほどの高架下へと戻り、安全な東行側へと移ります。

 

 

いよいよ、横田橋を渡ります。

 

 

 

石部大橋を渡る現道にせよ、横田橋を渡る旧道にせよ、

東海道をたどる甲賀方面への道は、最終的には

野洲川の北側へと渡ることになります。

 

 

なお、歩行者用に架けられたこちらの橋には、「横田橋」ではなく

「横田橋側道橋」の名がつけられているようです。

 

 

 

橋の南東には「横田の渡し」の常夜燈があり、

古くから野洲川を渡るための渡し舟があったらしいのですが、

横田橋については室町時代、橋を渡る者に対して

橋賃が徴収されていたようで、その存在が知られています。

 

 

明治時代には泉~三雲間に板橋を架けていたようですが、

昭和初期に橋は下流へと移され、さらに1951(昭和27年)には

現在の位置へと橋を架け替えています。

 

橋の上から左手の下流方面を見ると、

先代の橋脚の一部が今もなお残っています。

 

 

 

さて、湖南市の旧道区間も残りわずかとなりました。

 

 

東行側は、橋に入ったところで

次の朝国交差点で左折する近江八幡方面と

直進してすぐ右に曲がる四日市方面の2車線に分かれます。

 

 

 

橋の中央付近では、457km地点を通過します。

旧457km地点、ですね。

 

 

表記されている所在地は、合併して現在の湖南市になる前、

甲西町時代の「甲西町 三雲」が更新されることなく残っています。

 

横田橋の架け替えや補修が再び行われるなどない限りは、

このまま距離標はしばらく撤去されずに残ってそうですね。

 

 

 

456.9km地点を過ぎると、まもなく

湖南市で最後に通過する信号、朝国交差点です。

 

 

交差点上、前方を横切っている高架線は、

国道1号現道バイパスの水口道路です。

 

 

 

国道1号現道とは、このあと朝国交差点の先で合流し、

湖南市内の約8kmに渡って続いた旧道区間が終了します。

 

 

横田橋を渡ると三雲地区は終了し、湖南市では

最後に通過する街区である朝国地区へと入っていきます。

 

 

さて、国道1号旧道は朝国交差点の先もまだ続いていますが、

同交差点から先の区間については復路8日目の終盤で

通ることになるので、後日また紹介していきます。

 

 

 

つづく