【国道1号線徒歩の旅】Part283:八条油小路交差点 | きまぐれの国道1号徒歩の旅

国道1号徒歩の旅は復路4日目の終盤、

京都市南区にある八条油小路交差点に入りました。

 

 

国道1号上では京都駅に最も近い信号交差点であり、

この交差点で油小路通とまず交差するのは、

京都駅八条口前を通る八条通です。

 

 

 

八条通は、かつての平安京の「八条大路」に相当する通りで、

東海道本線で分断された区間を除いては

西は桂川から東は鴨川までをほぼ結ぶ、主要な通りです。

 

 

なお、国道1号の油小路通区間はここまでとなります。

 

 

 

そして右手、下り側には

ついに京都駅の大きな駅舎が見えてきました。

 

東海道新幹線や東海道本線をはじめとするJR線や、

近鉄線、京都市営地下鉄が乗り入れる

日本でも有数のターミナル駅です。

 

 

大阪駅前から、およそ45km。

丸4日を要しましたが、なんだか感無量ですね。

(国道1号自体はこの先500kmも続くので、まだ序章ですが(笑))

 

駅の外観がしっかり見えたのは、この交差点からのみでした。

この先はアンダーパスで道路が落ち込む区間に入ることもあり、

国道1号から京都駅が見られる唯一のポイントかと思われます。

 

 

 

ここで上り側には、立て札と共にこのようなものが。

 

立て札には「法然上人と重衡受戒」、

石碑には「平重衡 受戒之地」と記されています。

 

 

平重衡(たいらのしげひら)は、平安時代末期、

武士で初めて太政大臣に任じられた平清盛の五男で、

三位中将と称された平家の武将です。

 

1185(元暦2)年の壇ノ浦の戦いで滅亡したとされる平氏ですが、

重衡も同年、わずか29の若さで木津川畔にて斬首されたようです。

 

重衡はその前年に起きた一ノ谷の戦いで捕虜となっており、

斬首される前にはこの付近、八条堀川にあった御堂にて

法然から浄土宗の教えを説かれ、戒を授けられたとされています。

 

 

 

さて、ここから八条油小路交差点は、交差点全体が少し歪んで

やや西側へと偏ったような特殊な形状をしています。

 

 

目の前の高架上には、列車の種類が豊富な

近鉄京都線の電車が京都駅を数多く出入りしています。

 

続いて通過するこちらは、特急列車ですね。

見るたびに別型の電車が通過していくので、迷わず撮影を。

 

 

 

近鉄京都線の脇には歩行者・自転車専用道が、

またガード下には「天下一品」八条口店が見えました。

 

 

この交差点を出入りする道は、なにげに多いようです。

 

 

 

八条通は、この交差点を境に東西の通りの幅が大きく異なります。

西側の通りは、東側の半分程度の道路幅しかありません。

 

八条通は西へ向かっていくと、大宮通、壬生通といった

南北の通りと交差するにつれてだんだんと道幅が狭くなっていき、

最終的には一方通行になるほど狭い通りとなっていきます。

 

察するに、八条通の元々の道幅は一方通行程度の広さで、

京都駅の周辺を中心に拡幅する機運が高まったのでしょう。

 

 

右の高架上には近鉄線が、また左を東西に横切る

さらに高い高架上にはJR線の東海道新幹線が通ります。

 

歩行者は、東寺駅前でくぐった近鉄京都線の下を再びくぐり、

これよりようやく横断歩道から交差点を渡ることになります。

 

 

 

西九条池ノ内町の指定区間は、八条油小路交差点を渡るまで。

 

 

八条通の西側を横断し、交差点を渡りました。

 

 

 

八条油小路交差点の北側の通りが

やや西方にずれこんでいるのには、理由があります。

 

交差点の北側は、堀川通と油小路通が並んだ状態で

交差点とつながっており、歩行者が新たに入った通りは

油小路通ではなく、その西隣を通る堀川通です。

 

 

堀川通は、ここ八条油小路交差点で油小路通から分岐した道で

かつての平安京で言うところの「堀川小路」に当たる通りです。

 

堀川通は、油小路通から2区画西へずれた

二条城東を通っているのですが、そこからは南下するにつれて

徐々に東へとずれていき、最終的にここ八条油小路交差点で

さらに東へずれて油小路通と合流しているため、

交差点がこのように歪な形状となっています。

 

 

 

 

さて、国道1号上りでは、ここから西九条地区、

そしていよいよ京都市南区では最後の通過エリアとなる

西九条寺ノ前町の区間に入っています。

 

 

 

つづく