いい歳をしてバイクに乗っていると「道楽者」って言われませんか?
『道楽』とは、仏語で言うところの
仏道修行によって得たさとりのたのしみ。法悦の境界。
だそうである。
では、
「悟り」とは何であろうか?
悟りに至る道を表した有名な物に『十牛図』という物がある。
『十牛図』とは中国北宋時代の禅僧・廓庵に描かれた物で、悟りにいたる10の段階を10枚の図と詩で表したもの。
「真の自己」が牛の姿で表されており、真の自己を求める自己は牧人の姿で表されている。
①、尋牛 - 仏性の象徴である牛を見つけようと発心したが、牛は見つからないという状況。
②、見跡 - 経や教えによって仏性を求めようとするが、分別の世界からはまだ逃れられない。
③、見牛 - 行においてその牛を身上に実地に見た境位
④、得牛 - 牛を捉まえたとしても、それを飼いならすのは難しく、時には姿をくらます。
⑤、牧牛 - 本性を得たならばそこから真実の世界が広がるので、捉まえた牛を放さぬように押さえておくことが必要。慣れてくれば牛は素直に従うようにもなる。
⑥、騎牛帰家 - 心の平安が得られれば、牛飼いと牛は一体となり、牛を御する必要もない。
⑦、忘牛存人 - 家に戻ってくれば、牛を捉まえてきたことを忘れ、牛も忘れる。
⑧、人牛倶忘 - 牛を捉まえようとした理由を忘れ、捉まえた牛を忘れ、捉まえたことも忘れる。忘れるということもなくなる世界。
⑨、返本還源 - 何もない清浄無垢の世界からは、ありのままの世界が目に入る。
⑩、入鄽垂手 - 悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要がある。
以上を踏まえて(?)
(ちなみにこの図の解釈は、ほんの一例であり所説あります。)
牛をバイクに置き換えてみるとナニカ見えてくるのではないでしょうか?
①~⑤まではバイクを手に入れて乗り出すまでの苦労が描かれている様である。
⑥でついにバイクを乗りこなし、真のライダーになったと言えるのでは。
そ し て 、、
⑦ツーリングから家に帰ると、バイクの事を忘れてしまう・・・
(やっぱり家が一番?)
⑧ではバイクが欲しかった理由も忘れ、バイクを手に入れた事も忘れてしまう???!!!
⑨で「何もない清浄無垢の世界からは、ありのままの世界が目に入る」
これが悟りである!
つまり道楽とは①~⑨の流れをもってして成すものであり、生半可な道では無いのである!
バイクが道楽だって?
片腹痛し!
お は り!