8月27日

 

そろそろネタが尽きかけてきたので,今回はジャンルがバラバラです。(笑い

 

まずは,30代の頃にも一時髭面にしていたという,証拠写真です。

 

頭はパンチパーマでしたしね。

 

 

 

 

これは,ある所属先の餅つき大会での一コマです。

 

今のご時世じゃぁ考えられませんが,この頃は御用納めの日に職場で餅つき大会をやっていたんですよ。

 

ここの所属は一年365日,昼夜の区別なく機械の運転管理をする部門があったので,交代勤務の人はお正月も仕事なわけです。

 

っで,今と違って大昔はコンビニなんてありませんし,正月は食堂も休みなのでお雑煮はおろか,食事にも困るわけです。

 

特に,その当時は地方出身の若者が多く,独身寮に住んでいる人たちが大半だったものですから。

 

そこで,当時の管理職が知恵を絞ったわけです。

 

「せめて,正月にお餅でも食えるように。」ということから,御用納めの日に餅つきするようになったんだ,と聞いています。

 

その名残りで,私が就職した後も何年かは親睦会主催という名目で,餅つき大会をやっていたんですねぇ。

 

当然ながら,お昼はみんなでお餅を食べましたよ。

 

その代わり,親睦会の役員は事前準備から後片付けまで,大忙しです。

 

私も,役員をやった時は朝早くから職場に行ったし,帰りは後片付けで大変でしたが,今思い出すと懐かしいし,楽しかったですねぇ。

 

 

 

ちなみに,当時は日勤者も週休2日じゃなかったので,土曜日は午前中だけ仕事だったんですよね。

 

いわゆる,「半ドン」というやつです。

 

今の若い人は「半ドン」なんて知らないんだろうなぁ~。

 

 

 

 

 

さて,次の写真ですが,当時の私はこんな仕事をしていたんですわ。

 

これはガスクロマトグラフという分析機器で,農薬や有害化学物質を測定する機械です。

 

 

 

 

データ処理のコンピューターも分析機器専用だし,今と違ってはるかに能力の低いやつだったですねぇ。

 

データ出力も紙チャートが主流で,プリンターが付いていてもせいぜいプロッターだった気がする。

 

 

 

そんな時代ですが,当時マイコンと呼ばれる汎用PCが出現し,新し物好きの後輩が富士通のFM-8というパソコンを購入したんですわ。

 

それが職場に置いてあったので,私も触らせてもらったのがパソコンに親しむ切っ掛けでしたねぇ。

 

外部記憶装置はHDDどころかフロッピーディスクも無く,データレコーダー(テープレコーダー)からプログラムを読み込んで,初めて作業ができるという代物でしたが,それを借りてタッチタイピングの練習とかゲームを楽しんでいたんですよ。

 

その後,日本ではNEC製のPCが幅を利かせるようになり,私が最初に買ったのはNECのPC-8801MK2というやつでしたねぇ。

 

5インチのフロッピーディスクが内蔵されていたやつです。

 

 

 

この頃には分析機器も汎用PCを使ってデータ処理をするようになっていたんですが,当時の分析機器は外国製が大半だったので,DOS/V機(PC/AT互換機)がデータ処理用PCとして用いられていたんですわ。

 

ただ,大型の質量分析計はUNIX (ユニックス)で動いていましたけどね。

 

この頃にPCの自作が一大ブームになり,いろんな雑誌で解説記事が見られるようになったんですね。

 

当時の自作のメリットは,メーカー製よりかなり安くPCが手に入るということでした。

 

職場にも同じ趣味(?)の人が何人かいたので,情報交換しつつPC自作の沼へと嵌り込んでいったというわけです。

 

今の時代だと,メーカー製のPCにはいろんなアプリケーションが同梱されているので,PCを自作してもアプリを自前で買い揃えることを考えると,コスト的なメリットは少なくなってきましたけどね。

 

とはいえ,車やバイクと一緒で,自分で弄る楽しさは既製品のPCじゃぁ味わいにくいですよね。

 

というわけで,PCは未だに自作派です。

 

 

 

 

最後は,おまけ。

 

ある所属での職場旅行で日光へ行った時に,多分東武鉄道だったと思うけど,電車の中で撮ってもらった一枚。

 

 

 

 

「100年プリント-1984-」って印画紙にプリントされていました。

 

これはフジカラーが当時「100年間は退色しない。」という事を謳い文句にしていた,自信のあらわれですね。