私が日本ピアノ演奏史を調べはじめたのは今から20年ほど前です。雑誌『ショパン』に「昭和洋琴物語」という連載を行ったのは、1994年のことでした。
当時、昭和戦前期や戦後初期の日本人ピアニストについては、文献や辞典にほとんど情報がない状況であり、同時代の雑誌や書籍を図書館で掘りおこしたり、クリストファ・N・野澤先生のご厚意でSPレコードを聴かせていただくことで、勉強をはじめたのでした。
そして、自分の父母の世代に属する人々ならば、特に音楽に強い関心がなくても、記憶に刻みこまれたピアニストたちの活動が、私の世代には、ほとんど伝わっていないことに衝撃を受けました。
多くのかつての名ピアニストや先生方からお話をうかがい、在日ユダヤ系音楽家の存在の大きさについて教示を受けて、シロタやクロイツァーについて調べることに進んだのですが、シロタ、クロイツァーの伝記を書くのに10年かかりました(『日本を愛したピアニスト レオ・シロタ』は2004年刊行)。
ひとつのことを本気で調べるとなれば、どうしても10年かかるのだなとあらためて思わされたのでした。
さて、それからは日本のユダヤ人政策について主に調べてきたのですが、昨今ピアノ演奏史について考えなおす機会があり、20年前の日本で、ピアノがどのように教えられて、どのように評価されていたかを、思いだしていました。
1990年ごろ、私自身は日本的演奏様式をすでに過去のものと感じていました。
しかし、今から振りかえれば当時、戦中・戦後に成立した日本的演奏様式の支配はなかなか強力であり、90年代は、この支配がゆっくりと崩壊していく過渡期だったように思います。
これもまた記録されて考察される過去であるべきです。
現代史研究の対象となる時代については議論のあるところと思いますが、いまから20年前のピアノ演奏も歴史研究の主題となりつつあるのだと考えます。