冬の軽井沢(7) | 緑の錨

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歴史家の山本尚志のブログです。日本で活躍したピアニストのレオ・シロタ、レオニード・クロイツァー、日本の歴史的ピアニスト、太平洋戦争時代の日本のユダヤ人政策を扱っています。

ベアテさんの著書『1945年のクリスマス』(柏書房)で、もっとも劇的な場面のひとつが、日本に居た両親との再会です。

もし、浄月荘がレオ・シロタ夫妻の疎開地であるならば、それは駅からかなり奥まった三笠ホテル近くにあったはずです(文末に追記があります。参照してください)。

旧軽井沢からでも徒歩ではかなりかかります。写真は並木道。戦時中草軽電気鉄道が運行していたのですが、これが利用できないとなると、往来はかなり大変だったでしょう。


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三笠ホテルには外務省の出張所が、近くの深山荘にはスイス公使館が置かれていました。写真は旧三笠ホテルです。壮麗な建築ですね。

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スイス公使館があったのは深山荘です。


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ただ、シロタは無国籍であり、ナチス・ドイツによる国籍剥奪以来、いかなる国家からも保護を受けられない立場にありました。


浄月荘にむかうのは、旧軽井沢からきて三笠ホテルに到着する手前。軽井沢駅、旧軽井沢を背に右に林の中に入っていき、道標を頼りに進んでいくことになります。


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藤田晴子先生は後年山道を歩くために草鞋を履いていったと述べておられます。鉄道の利用もままならなかったということで(藤田晴子『音楽評論集 ピアノとピアノ音楽』音楽之友社、2008年、16頁参照)、たとえば軽井沢駅から歩いたとすればよく理解できます。


(追記:信濃毎日新聞の記事「斜面」2013年1月9日付によれば、浄月荘の位置は第二次世界大戦当時、この場所から移動されていたということのようです。こうなると、私の記述の前提がすべて違ってきてしまいます。追記しておきます)。