今日は好天なれど、論文執筆・校正中に乱雑になった室内秩序を回復するために費やしました。
外に出たかったのですが、室内の状況を考えればそうもいきません。
日本のユダヤ人政策について、何度も書いていることですが、史料の内容が錯綜しているだけでなく、その記述も、官僚的作文技術を駆使して読者を混乱させるように書かれている場合が多いのです。
それをあれこれ考えながらなんとか整理しようとしていると、本当に手間がかかることになります。
あたふたしていると、時間を経るうちに室内がどんどんちらかっていきます。
思うに、日本のユダヤ人政策を掘りさげて考えれば考えるほど、その性格について明確に言いきることはできなくなります。
かつて、この主題についてジャーナリスティックな議論の応酬がしきりになされたときよりは、時間を経て研究者の努力が蓄積した分だけ日本のユダヤ人政策の解明が進んだとは思います。
しかし、かえって日本のユダヤ人政策の複雑性があきらかになって、明快で人目をひくような断言が難しくなっていったともいえるように思います。
写真は過日の古河庭園です。