日本政府のユダヤ避難民対策についての論文 | 緑の錨

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歴史家の山本尚志のブログです。日本で活躍したピアニストのレオ・シロタ、レオニード・クロイツァー、日本の歴史的ピアニスト、太平洋戦争時代の日本のユダヤ人政策を扱っています。

昨年、論文を書きました。

山本尚志「日本政府のユダヤ人政策とユダヤ避難民----1938年の秋から冬にかけて」(『学習院高等科紀要』第9号、学習院高等科、2011年11月)。

まず、1938年10月7日の近衛文麿外務大臣より各在外公館長宛公信米三機密合第1447号「猶太避難民ノ入国ニ関スル件」と、その効力と日本政府の方針について検討しました(前掲論文、87頁では一字脱落して、在外公館長宛が在外公館宛になっています)。さらに外務省の方針と、日本政府の方針に整合性が欠けていたことも指摘しました。

さらに、満州国に到来したユダヤ避難民への対処について検討して、安江仙弘大連特務機関長と東京の外務省の間で、深刻な方針の齟齬が存在したことを説明しました。

つまり、従来重視されてきた近衛外務大臣よりの公信が日本政府の方針と同一視できないこと、ユダヤ避難民への対応で、外務省が入国、通過について厳格だったのに対して、安江大佐の主導する現地方針はより柔軟であったことに注目した論文です。

また、外務省が国境においてユダヤ避難民通過を厳格化しようとしたこと、これが国境線でユダヤ避難民を進退窮まらしめる可能性もある深刻なものであったことも指摘しました。