井上園子は1915年に生まれて1986年に世を去ったピアニストです。甲斐美和、原智恵子と並んで、戦前日本の代表的なコンサート・ピアニストでした。その生涯は戦前日本ピアノ演奏の栄光と悲劇が集約されているようにも思います。
取材を重ねていて感じたことは、井上園子が同世代のピアニストにもっとも支持されたピアニストであったということです。その力量は同僚からとりわけ強い信頼を得ていました。
同時に原智恵子と並んで、井上園子は批評家・音楽学者から批判を浴び続けてきたピアニストでもあります。日本音楽界の主流に位置しながら、1930年代にはじまり、批評・学問が主導した新しい音楽演奏の流れと激突して、やがて病に倒れて演奏活動を終えたのは悲劇的というしかないことでした。
わたし自身を含めて日本で音楽について書くことは否応なしにある伝統の末端に位置するということです。井上園子に厳しい批判を浴びせた学者、批評家の末裔なのです。
従って、自分たちの立ち位置の再検討なくして、日本の歴史的ピアノ演奏について本当に書くことはできないというのが、わたしの主張です。
コロンビア・ビンテージ・コレクションにおさめられた井上園子の演奏は、ショパンのワルツ第14番遺作、チャイコフスキーの『トロイカ』、グリーグの『春に寄す』、リストの『ラ・カンパネッラ』、ベートーヴェンとモーツァルトの『トルコ行進曲』、メンデルスゾーンの『狩りの歌』とヴェーバーの『舞踏への勧誘』です。
当時のサロン的な作品を収めたものでしょうが、このピアニストの演奏を窺い知るためにとても貴重なものです。