シュトライヒャー余聞(1) | 緑の錨

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歴史家の山本尚志のブログです。日本で活躍したピアニストのレオ・シロタ、レオニード・クロイツァー、日本の歴史的ピアニスト、太平洋戦争時代の日本のユダヤ人政策を扱っています。

物語を書くとき、魅力のある、しかし本筋と関係の薄い逸話に触れることができないで、残念な思いをすることがあります。

クロイツァーの伝記を書いていたとき、ベートーヴェンとかかわりのある、ふしぎな夫妻の物語を調べる機会がありました。アンドレアス・シュトライヒャーとナネッテ・シュトライヒャーの夫婦です。

ウィーンのピアノ製作の伝統において、その出発点に位置する優れたピアノ製作者として、そして、ベートーヴェン晩年の理解者、後援者として、ベートーヴェン愛好家にとって、シュトライヒャー夫妻の存在は重要な意味を持っています。

しかし、調べているうちに、夫妻はそれぞれもう一人ドイツ芸術の巨匠と密接なつながりを持っていたことを知りました。まず、夫のアンドレアス・シュトライヒャーについて紹介してみたいと思います。

ヴュルテンブルクの人アンドレアス・シュトライヒャー(1761~1833)は若き日の大詩人フリードリッヒ・シラー(1759~1805)の友人でした。そしてシラーの危機に当たって、友人のために信じられないほど献身的にふるまった人物でありました。

シュトライヒャーはピアノという楽器の発展とベートーヴェンのピアノ音楽の進展に重要な貢献、寄与をしたというだけではなく、世界市民たる大詩人シラーの誕生に際して、やはり重要な貢献と寄与をしたのです。

ドイツ文化のふたりの偉人に、シュトライヒャーは決定的な援助を行う栄誉を得たのでしたが、しかも、それがまったく別々に関係しあうことなく行われているのが、きわめて興味ぶかい点です。

シラー研究においてシュトライヒャーを無視することは不可能であり、ベートーヴェンの晩年について記述する際にも、しばしばシュトライヒャー夫妻の役割については言及されています。

ただ、ドイツ文学者には音楽におけるシュトライヒャーの貢献があまり知られないままでいて、音楽研究者にはシラーの文学史上の役割があまり知られていないようにも思います。これは人物として、アンドレアス・シュトライヒャーの重要性を理解する上で残念なことかもしれません。

しばらく、シュトライヒャーの物語を書いてみたいと思います。