国立メディア芸術総合センターについて議論が盛んです。
政治的な議論には、これまでも言及を避けてきて、
これからもできれば言及しないつもりですが、
ちょっとだけ漫画家の里中満智子さんの発言に興味をひかれました。
政治を離れて史料保存・歴史研究という観点から言及してみようと思います。
毎日新聞の報道によると、
里中さんは「劣化が進む貴重な漫画原画」(『毎日新聞』電子版2009年6月4日)の保存を、
記者会見で提唱されているようです(下記リンク参照)。
メディア芸術センター:里中満智子さんら「拠点は必要」…批判に反論
紙は種類によっては非常に安定した物質で、きわめて長時間の保存が可能なのですが、
そうでない種類の紙も存在します。
いわゆる酸性紙というもので、きわめて劣化しやすいのです。
大島弓子さんの漫画『すべて緑になる日まで』(白泉社文庫、1996年)の後書きに、
自分の原稿が酸性紙で、劣化しつつあることが記されています。
酸性紙を長期保管するには処理が必要で(脱酸処理)、日本でも行われています。
しかし、漫画原稿については、おそらく、その対象になっていないでしょう。
ところで、歴史家としての観点からいえば、
後世の歴史家が日本の20世紀末最後の四半世紀について、
その文化を論じるとき(大衆文化と言わなくてもいいと思います)、
大島弓子や里中満智子を無視できるとは考えにくいわけです。
だとすると、もし漫画原画を適切に保存しておくことが本当に行われるとすれば、
それはぜひ推しすすめられるべきことのように思います。
もちろん、上記の意見は政治的にはさまざまに解釈できます。
実際建設される組織が、この目的のために利用できるかどうか、
あるいは政治論争の中で、変質して機能不全になりはしないか、
などという点は、史料保存の見地を離れた政治的問題であるからです。
もとより史料館・文書館・アーカイヴズというのは基本的に地味で、
政治的にアピール度の低い施設にならざるを得ないでしょう。
それがすんなりと建設できるかどうかは不透明なようにも感じます。
それ故に、私は今回の施設に賛成とも反対とも言いませんが、
どちらの態度を取るにしても、
漫画の原画保存の問題は、かなり深刻で緊急の課題であるように思います。