シゲティとバルトークによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第九番の演奏について思ったことです。もちろん讃辞の、しかも最大級の讃辞のつもりです。
情熱の激しさと表現意思の強さは猛烈なもので、両者はしばしばバランスを崩してでも自分が信じるベートーヴェンに突きすすんでいきます。おそらく弱点を指摘することは可能なのでしょうが、それでも、この演奏が傑出したものとみなされる所以は、二人の芸術家の強力な意思と情熱が生みだした演奏の存在感と説得力と、そして垣間見られる叙情の美しさによるのでしょう。
シゲティに焦点を置いて論じるならば、1930年代の新即物主義運動を担ったのは、むしろ、このような強烈な表現意欲に富んだ演奏であったということが指摘できます。シゲティはフルトヴェングラー追悼文で、彼を擁護する姿勢を鮮明にしていますが、フルトヴェングラーの側に立つ演奏家なのではないかと考えられるように思うのです。
よく知られるように、シゲティは極端に杓子定規で即物的な演奏を推進した日本の批評家たちの寵児でありましたが、モギレフスキーとクロイツァーを賞賛して、その死後に起こった日本の音楽教育の変質をいち早く批判した演奏家でした。