ハイ・フィンガー奏法(3) | 緑の錨

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歴史家の山本尚志のブログです。日本で活躍したピアニストのレオ・シロタ、レオニード・クロイツァー、日本の歴史的ピアニスト、太平洋戦争時代の日本のユダヤ人政策を扱っています。

 少し、この問題についての、私の立場をまとめておこうかと思います。

 まず、久野久子についてですが、私見では、久野久子のウィーンでの窮状は誇張されています。史料によれば、周囲はかなり熱心に久野を援助していました。むしろ、私は久野久子の死には芸術家らしい一本気と誇りを見たりもするものです。従って、私は久野久子にはっきりと好意的な立場に立ちます。

 しかし現在の研究状況で、研究者たちは久野久子にハイ・フィンガー奏法の創始者のひとりとしての責任を帰して、さらに、このピアノ奏法に現代に至る日本ピアノ演奏の問題点が集約されていると考えているのです。このような史観は議論の余地があるものと、私は考えます。ですから、私のこの問題に関する主張の背景には、ハイ・フィンガー奏法に日本ピアノ演奏の貧困を象徴するものとする現代の研究状況があります。

 私の論点は、だいたい次の3つです。

 第一に現代の研究ではハイ・フィンガー奏法の定義があまりにも拡大されている。

 第二にハイ・フィンガー奏法以外の過去のピアニストの努力と功績が無視されている。

 第三にハイ・フィンガー奏法は現代の研究が前提とするほどにはかつての日本で支配的ではなかった。

 そこから導かれる主張は、1930年代、40年代のピアニストの音楽的な成果をもっと見るべきであるということ。そして、日本ピアノ演奏の問題を検討する場合、ハイ・フィンガー奏法と別の角度から考えるべきであるということです。私がハイ・フィンガー奏法の定義と影響力を突きつめて論じようとするのも、そもそも、この奏法を重視しすぎる論者たちの意見に新しい角度から議論、場合によっては反論を提示しようと思うが故です。ただ、このような議論をするためには、問題を精査する必要があるということなのです。