朝「はなまるマーケット」を見ながら出勤用意をしていたら、片平なぎささんがゲストでした。

どうも、2時間ドラマで「日航機墜落事故」をテーマにしたのを作ってて、主演が片平さんらしいのですが・・

話の中心は片平さんの「フィンランド旅行」の話で、日本人が一人も来てない現地の「湖畔のサウナ」に、いろんな国から来た人たちと一緒に、すっぽんぽんで入って、熱くなったら湖に飛び込んで泳ぐ。しかし、湖まで歩く間に蚊に刺されまくってしまった!顔まで刺されたの~ってな、楽しい話ばかりでした。


で、この事故、日本の航空機事故では史上最悪、山のなかに落っこちて乗員・乗客とも、ほぼ全滅(生存者4名)でしたし、遺体の捜索もけっこう大変で・・山なので毎年慰霊に山登りする遺族たちも絶えず、ながいこと毎年新聞にかかれてきた大事件だったのですが、いま20周年なのですね。ということは、日本の航空会社の自由化がはじまって20周年です。

今は合併して大きく2つのグループになっていますが、以前は大きくわけて3社あり、国営のN社は国際線と国内の幹線のみ担当、民間のZ社は国内線と国際チャーター便を担当、いちばん小さなT社(当時)は、国内ローカル線(田舎と田舎を結ぶ、余り収益のあがらない線)担当、と区分が決まっていたのですが、そのころって航空運賃とても高かったです。80年代にアメリカでカーター大統領が「航空自由化」を行ったので、あちらでは飛行機代やすかったらしくって・・米国のペンパルが「夏休みは飛行機にのってどこそこへ行きます」とまるで長距離バスに乗るようなノリで手紙を書いてきたのを読んで、豊かな国だなぁ~~!!って思ったことなどを思い出します。親戚がそう遠くに居ないうちとしては、大きくなるまで飛行機は乗ったことない家でした、いつも深夜に碓氷峠超え!とかを楽しそうにこなす父の運転する車に乗せてもらって・・グースカ寝ていたら親戚の家着~みたいなかんじでしたから・・国内線でみんなで旅行、はけっこう贅沢なコースでした。


運輸省(当時・・今は『国土交通省』ですね)が「3社とも国際線への進出を許可する」と言い出したのが、この事故(夏休みちゅうに起こった)のあとの秋あたりで、その秋、就職活動をしていた私達にも影響が出ました。Z社が、来年からグアム線を皮切りに、国際定期便就航に進出するので、乗員の募集人員を増やしたいとのことで、ライバルのN社より早い日取りで面接する!っと言ってきて、8月中に求人票が張り出されて、スッチー志望だったお友達二人も、それぞれ、Z社、N社の面接に行ってきました。

なにしろ、応募者がとっても多いので、体育館みたいな広い会場にたくさんパイプいすを用意され、端から立たせて一人ずつ自己紹介、一人当たり数十秒の自己紹介をみて、一時面接終了。ごっそり落とされたみたいで、二人ともこの一次面接を通りませんでした。

わたしは視力が悪く、スッチーには応募できないのを知っていましたから、地上職の求人をつぶさに見ていました。結局9月になるまえに夏でも着れそうな長袖のスーツを買い、Z社の本社まで面接に行ってきました。一次面接は学校別の集団面接をしてくれたので、とても嬉しかったです。

二次面接はほかの短大の子達も混ぜて5人ぐらいでの集団面接。ここに辛くも残って、三次面接(個人面接)で内定を出されました。ほかの会社は1社まわっただけ、しかもそこは業種がまったく別でした。内定を出してきたのがZ社がいちばん早かったもので、ここに決めました。その後、英語のペーパーテストがありましたが、合否に関係ない、形式的なものだといわれました。実質、面接だけの入社試験だったわけでした。


お客様に接する仕事があるのではないか、という、内勤意外の仕事が出来そうな希望を抱いて入社しましたが、実際には社外の人がだれも訪れない職場にまる3年いまして、それから、やっと一般のお客様と「声」で接する職場に移動になって、そこが移転するときにまた異動して3つ目の職場では対面接客もさせてもらえるようになりました。代理店周り、の営業も、売上の少ない代理店の担当を任せてもらえるようになりました。

後輩ちゃんが、はじめの職場の支店長秘書をしていたのですが、だんだん景気がわるくなり、新卒採用をあまりしなかった年度に、(90年ごろかな)、運輸省のコネをもった子の履歴書が支店長のところに来たのを見つけて・・「この年度に就職していたら、ここの会社には居なかった・・入れなかったわねぇ」と言っていました。年度によって、入りやすさがかなり違う会社だったんですよ、入りやすい年度の新入社員は、それこそ、玉石混合でした(笑)。

お酒の席では「無礼講」とは言われても、上司に本気で無礼講の人って居なくって・・上司が勝手に無礼講だったような覚えが(笑)。酔った上司(しかも仕事さぼりすぎ、仕事できなさすぎ)に、「おまえら、組織の歯車にはなりたくない、っとか言って入社してきただろ?そういうことを言うやつに限って、歯車にすらなれないやつが多いんだよ」っと言われて、同期入社の男の子はまともに凹んでました(笑)。まぁそれっくらい「新人類な新入社員」と言われて育ちました。わたしたちが新人類なら今の若い子は「もはや、人類では無い」みたいな??(笑)。わたしたちの頃は、みかけが自分より年上だとわかるだけで、タメ口はとても利けなかったものですけれどもねぇ・・・最近の若い子は、高学歴でも、「おなじ立場なら、年上でも敬語なんて使わない」って人が意外に居ますよね。歳くってるだけでは尊敬されない時代なんです、ファッションセンスがダサかったり、仕事ができないおばさんだったりすると、だれも敬意をはらってくれません、おばさんなだけで、仕事内容も、お給料も一緒、だもんね。私達だって、わかいころ、そういう態度に出たかったよ。仕事ができなくても社歴が長くてお給料はあたまうち、もう辞めないとってリーチがかかってる女の先輩のお酒の席のお供なんてしたくなかったよ、今の若者みたいに、断りたかったよーー(爆)。


話、それましたが・・日航機墜落事故のおかげで、就職が楽だった人間のひとりがココに居ますです・・・最近の若者は、採用されなくても自分がどこか変だとは思わないで欲しいと思います、採用する側の勝手で、

採用人数はコロコロ変わるんですよ。ある先輩が「就職はお見合いみたいなものである。」と言っていましたが、お見合いも、景気悪いと数が減る、んですよ、で、今年はラッキーなことに、採用数拡大傾向にあるって、机をならべているバイト仲間の大学3年生が教えてくれました。マスコミ志望だそうですが・・採用数が少ない業界で。買ったばかりの「TV Japan」を見せて、これ作ってる雑誌社なんてどうかなぁ?と聞いちゃいました(笑)。その子の知り合いは、双葉社っていう、週刊大衆を出してる小さい会社に入ったのだそうです。東京ニュース通信社にぜひぜひ就職して、ふじっきーの生ポラをわたしに横流ししてください(笑)。仲良くしようね~~~♪