なおひとの「通常本」がこの週末に出ているはずだったのにぃ~
ソニマガさんが5日ばかり発売日を繰り延べしたもんだから、このざまですよ~ほかのを買ってしまったじゃ~ないですか(爆)。
http://www.musiclife.co.jp/market/detail.cgi?site=2&maker_cd=00001&goods_cd=0619137

※HMV新宿タカシマヤ・タイムズスクエア店には、まだ「カンバスツアーDVD」の初回版がちゃ~んとありました、まだまだ、探せば店頭にあるから欲しい人はお早めにね。

それで、U2ですが。普通の人は「ボーカルのボノはミスチル桜井氏に似ている。ギターのジ・エッジは俳優の伊藤英明くんに似ている。ベースのアダムは井上順に似ている(笑)。そしてドラムスのラリーは・・誰とはいいがたいけど天使のように綺麗!美形!だれなの~このコは!(はあと)」

っと思うことでしょう。そうなの~ほかの3人は「・・個性的なルックスですね。」って片付けられちゃうU2のなかで唯一「美形。」だけど「しゃべらない。前にあまり出てこない。だけど一番きになる~。」という状態だったラリーが実は「バンドを結成した人であり、最初から今までずっとバンドのリーダー」であることを、わたしはこの本を読むまで全く知りませんでした!彼らをよく知る日本人現地コーディネーター(女性)によると「ラリーがいつも仕切ってバンド練習をやっていて、彼らはいまだに、ライブ後は4人だけでほかに誰も混ぜずにみっちり反省ミーティングをやっている。」このときもラリーが中心となっているみたいなことを書いています。メンバーの半分(ジ・エッジとアダム)はイギリス人であり、アイルランドの某高校で同じ学年だった4人によるバンドであるのですが、バンドを作ったのはラリーで、ボーノは「兄貴が教えてくれたからギターは弾ける」とハッタリで入ったけれど弾けないのでボーカルにおさまった、というだけの人だったらしいのです。
ジ・エッジは小さい頃からピアノとギターを習っており、器用なので自作のエレキギターを作ったりしていたとのこと。
ラリーは「6歳でピアノを習ったら先生からやんわりと”向いてない”と断られて断念」→アイルランドで一番上手なドラムスの先生についてドラムスを習い始める」→「鼓笛隊に入るが髪形を注意されて断念。」→「アルバイトをしていた郵便局のバンドに入ってツアーをして周ったので、バンドの結束にはツアーが重要だってそのころから感じるようになった。」そして高校でU2を結成、ベースのアダムを誘ったりいろいろメンバーを集めたのは彼でした。

このように、「いちばん、音楽を志していた」のはラリーであり、あとは音楽の才能があったジ・エッジとアダム、それから「エネルギーをもてあましていた不良?」のボーノの4人組で個性的かつ演奏が達者なバンドとして、デビューには有名なミキサーな「スティーブ・リリーホワイト」が関わってくれて、どんどん国内ツアー、イギリスツアー、北米ツアーと、ロードにでています。日本には83年に初来日して「夜のヒットスタジオ」で「New Years Day」を歌ったが、機材トラブルでエッジのギターの音が全然出ず。ボーノが手振りでそれを訴えつつ歌ったけど番組側はまったくわかってくれなかったらしいです(笑)。
ひな壇には「全員カメラを手に持ち」座っていていろんな人をカメラでぱちぱち撮っていたそう・・わたし絶対これ「TVで見た!」けど覚えてるようないないような・・このときメンバーは23歳だったそうです。

***つづく***