ここはどこでしょう?
フランス、ボルドー地方にある某シャトー。っていっても「ワイン蔵」でなくて、ここに20年間篭って「エッセイ」を書いた人がいます、その名は「モンテーニュ」さん。レオナルド・ダ・ヴィンチとかぶる年代に居た人で、ダ・ヴィンチも「ヴィンチ村」に生家があるという、パパが地元の有力者、だったのとたいへん似ていて、この人もこのシャトーの建っているのが「モンテーニュ村」で、生家です。

フランスの「吉田兼好」さんである思想家「モンテーニュ」
この話題を書こうと思っていて、訳者の先生の名を検索していたら、東大教授でフランス文学翻訳の第一人者だとはわかったものの、その訳本に「ショパンの本」があったため、そこから横道にそれて今朝書いたブログが「ピアノの話」に転んでしまいました(^^)。

この「モンテーニュ」の本は、たしか「哲学の時間」でテキストに使ったもので、講義をききつつ線を引いたり書き込みがあるんですが、なにしろ当時はテストに出る場所だけを懸命に読んでておわり、みたいに余裕がなく、ただ「良い本なのでこの本とっておこう。」と思っていたので、ひっぱり出してみたのです。20年間かかって書かれた本のなかの「おもしろい章」だけを選んで、おのおのの章をへたに削らず、それぞれ完全なかたちで訳してある「抜粋本」ですが、そのなかで最後に選ばれている「経験について」の最後の部分を読んでびっくりしちゃいました!これ藤木くんにも藤木ファンにも絶対紹介したい文で、おおまかに書くと、

じぶんの存在自体を楽しむことが、いちばん幸せなことで、それさえできていればほかには大抵、望むものは無いものです。

そして最後に結びの文で、

願わくは、「醜い老年」とか「竪琴を弾くのをやめてしまう」とかが自分の身にありませんように。

とあります。すごい~これ・・・ふじっきーにもぜひ「醜い老年」と「ギターを弾くことを辞める」のだけは絶対ありませんように私も願っちゃいます(笑)。

このモンテーニュさんは「2歳で里子に出されて6歳までマンツーマンでラテン語を教わる。」そのあと「ボルドーで学校にはいり、19歳まで。」そのあと大学に入り卒業。お父さんは有名な法律家だったのですが、モンテーニュが25歳ぐらいのときに自分が市長に選ばれたから自分の地位を息子に譲ったため、モンテーニュは以後ずっと「裁判所」にお勤めします。40代で退官してから20年間生家のボルドーのシャトーに篭って「エセー」を書きます。結婚は40代でしたが、娘ばあり7人も生まれて、どういうわけかみなすぐ小さいうちに死んでしまって最後に一人だけ元気で成人した娘が結婚し、翌年「孫娘」(どこまでも女系なのね~)が生まれて、そのまた翌年に「口狭炎にて死去」こ・・コウキョウエン??(--;)

のどや口の病気でポックリいっちゃうの?江戸時代ぐらいの時代だったとはいえ・・ふじっきーもわたしたちも、のどの病気には充分気をつけましょう!!

でね、この人の「教育論」などは今読んでも「これだけのものがこの時代にあったのなら、充分だな~」と思える、とてもいいものです。
「ムチで脅して子供達をおとなしくさせて教室に縛り付け、書物をやまほど読ませることはなんにもならない。普通の生活、空間の移動ひとつひとつが、彼らには学習となる。」
と、子供には『モノより思い出』(←このキャッチコピー、某クルマ会社のワゴン車のCMで使われてましたね)であり、勉強ばかりさせていないで普通にお手伝いとかお出かけに連れ出すとかのほうが子供のためになり、「
書物を背負わせたロバを作るのでなく、学問を身に付けて『身ひとつ』になってもらわないといけない」
って言っています。そうだよね・・いつでも読めるアンチョコ本を持ち歩くのでなく、それらを頭に入れて手ぶらで歩いていけるように育ってもらわないと。この時代でもう教育論はこれ以上のいい案は出てきて無いんだなーって感銘を受けてしまいました。

モンテーニュの思想は、後の「サルトル」「ニーチェ」「ジャン・ジャック・ルソー」などにも影響を与えた(※ルソーの本はフランス革命の元となったものですよね)そうで、えらいおじさまなんだけど、随筆では時代からいって「吉田兼好さんの『徒然草』のほうが彼より前よ。」って意味で、彼のほうが兼好さんの真似であるたいに書いてみました(^^)。兼好さんはお坊さんだったので仏典をやまほど読んでいたでしょうけど、モンテーニュさんもラテン語の書物をやまほど読んだうえで、お仕事は「法律家」として俗世にどんどんかかわっていた人で、なんだか両方とも「よく勉強しているが、時代遅れにならず、世間にもさとい」という、ものを考えることが得意になりがちな刺激的立場にいた知識人として共通してる部分多いですよね。

硬い本に見えますが、訳者が達者なのか、とても読みやすいので超・おすすめです。ぜひ、図書館で。