その日、私は仕事で早朝群馬県前橋市に移動し、

ずーっとスタジオに缶詰だった

だからその事件を知ったのは、

お昼の休憩の時

 

スタジオのスタッフさんがTVをつけて、

人生で見たことのないような映像を

見せつけられた

 

地下鉄の出口付近に

ブルーシートなどが敷かれ、

多くの人たちが横たわり、

消防と救急の車がたくさん停まっていた

あの映像

 

当時、私は仕事で週に一度は霞ヶ関に地下鉄で通っていた

日が違っていたら…と考えるとゾッとする

 

その日、東京はパニックなので、

そのまま前橋に宿泊することにした

 

それよりも病気で自宅にいる母に連絡を入れた

仕事柄、毎日違う現場に行くので、

何処に行くかなんて、出かける時に伝えることはなかった。

 

電話をすると、案の定、母は物凄く心配していた

可哀想なことをした

 

母のうつ病が発症したのは、

この時なのか、

少し前なのか、

はっきりは分からない。

 

ただ、分かっているのは、

その日からテレビの情報番組の全てが

オウム真理教の話になり、

それまで朝から晩までテレビをつけっぱなしにしていた母は、

間もなく、全くテレビをつけなくなった

 

テレビをつけると、気持ちの悪い話ばかりが流れてくる状況に追い込まれてしまったのだ

 

病気療養中だった母から

あの事件は、

唯一の友達、テレビを奪った

 

その後、母のうつ病は悪化していく

 

3月20日になると、

あの忌まわしい事件から連想ゲームのように

病気だった母のことを思い出す

 

母は次の年の秋に亡くなった

つまり母が亡くなって間もなく30年経とうとしているのだった