この2つの言葉は、辞書で引く限りにおいて、良い意味しかないのに、最近の会話では殆ど悪い意味でしか使われていない。
哀しい言葉です。
何とかしたいと勝手に思っています。
「適当だよね」「いい加減だよね」が、どうして悪い意味のみになってしまったのか?
「好い加減」とアクセントを前に持って行って読めば、「好い塩梅」みたいに美しい言葉に聞こえてくるはずなのに、こちらで使われることは殆どなく、「いい加減」と平板に使われることばかり。
「適当な人」は、みんな「適当すぎる人」になってしまった。
上司に「ここどうしましょうか?」と聞いて、上司が「適当でいいわ」と答えたとしても、やはり良い音には聞こえてこないですよね。
でも、本来の意味は、「ある性質・状態・要求などに、ちょうどよく合うこと。ふさわしいこと。」「度合いがちょうどよいこと」
…めちゃくちゃ優れていることですよね。
書く時は、「適当」という言葉を、カタカナやひらがなで書き換えることで意味の捉え方を変えたりもしてみる。
例えば「テキトーだよね」って書くと、本当に悪い方の、適当すぎるイメージになる。
でも、とにかく、本来の いい意味の方で使ってみたい。
「適当でいいわ」ではなく、「適当がいいわ」と言えばいいのか?
「あの人何をやっても適当なのよ。素敵な人」と語尾に加えるしかないのか?
本来のいい意味を取り戻してもらいたい言葉なのです。