今夏、NHKのドラマを見て、それから小川糸の本を数冊読み、

やっと『ライオンのおやつ』を読みました。

 

感想は、結構原作通りにドラマは作られていたな。

 

本は、ラストの、雫が亡くなった後の部分が好きになれなかった。

そこを除くと、雫目線で、死と向き合っていく話で、

なんて言うのかなぁ、

すごく面白かったとか、すごく惹かれたとか、良かったとかではないのです。

 

テレビドラマの時も、よかった部類には入っているのだけれど、

なんか手放しで「よかった!」って言えない。

 

それはテーマが重くて何が正しいと言えない領域の話だからなのだろうか?

 

ドラマを見た後、最初に読んだ小川糸さんの本が、

『あつあつを召し上がれ』という短編集で、この本が素晴らしかった。

私は基本的に長編小説の方が好きです。

何故なら、本の世界に入るのに、それなりに時間が掛かるのだから、

いい本なら尚更、ずーっとその世界に浸っていたい。

ところが、この短編集は、どの話もスッと中に入れてくれて、

驚くことに、読み終わってから全ての話をクリアに覚えていて、

タイトルを見れば話も登場人物も思い出すことが出来た、

とにかく傑作の短編集です。(オススメです!)

 

それと比較すると、別の本は、嫌いじゃないけど、手放しにいい本!とか

面白い!とかオススメとか言えない。うーん。

 

ここで、以前このブログに書いた、テレビドラマの方の『ライオンのおやつ』の感想をコピペして読んでみます。

 

【ライオンのおやつ】

ライオンの家というホスピスにやってくる。その地に来て登場する人々が、なんとなく芝居がクサイ、またはうるさい。化粧が濃い。マドンナ役は鈴木京香でない方が良かったし、あの髪型はまったく意味不明。と、とにかく主演の土村芳以外は、邪魔な芝居をたくさんしてくれるのだけれど、だんだん気にならなくなる。ホスピスという重いテーマで、先がないというか、先が分かっている、ある種、何も起きないドラマだから、わざと化粧や芝居を濃くしたのだろうか?

 当初、毎回誰かが亡くなっていき、その人が希望したおやつが出てくるという流れには正直参った。けれど、だんだん主役の話が中心になっていき、よくなって行った。ただ、話のメインになる、おやつが不味そうなのだ! どこかのパン屋で買ってきたコロネ、普通に売っている芋羊羹、大量生産で作られたお菓子に見えて、そこに手作りの優しさが見えない。朝ご飯やお弁当はきちんと美味しそうに作られているのに、どうしてメインのおやつがこの扱いになってしまったのだろうか?(ミルクレープのみ手作り感あり)

 ライオンの家のセットはとても素敵だった。どこかの島の白い家…と思っていたら、少し遅れて放送開始した【漂着者】というドラマで同じセットを使用していて、それが新興宗教の館のような使い方だったので、すっかりがっかりしてしまった。

 こう書いてきたら、なんだからつまらないドラマみたいだ。ドラマとしてのインパクトはあり、楽しみなドラマだったのに。原作小川糸の本を読んでみたいと思っている。果たして彼女の本の世界観がきちんと伝わったのだろうか?が疑問。

 

おおおーっ

 

原作の良かった点は、前述の通り、ラスト部分を除き、特に前半なのだけれど、死と向き合ってホスピスに来た雫、雫目線で、出会う人々、出会う出来事、その感想。そして変化していく雫の気持ち。そのどれを読んでも、心がとても穏やかで平和なんです。雫が何かを見て、経験して、何かを感じる度に、ふわ~っと微笑んでしまう。そんな空気感。

 私は、これが原作の世界観だったのではないかと、感じました。そして、テレビドラマは、原作通りに描いたようで、そのふわ~は、感じられなかった。

 それが私の感想です。

 

読後感想、観賞後の感想などは、その時の鑑賞者の精神状態なども作用するので、人によって違うものだと思うし、私自身でも違うタイミングで見たら違うと思う。違う役者が演じたら違く見えるように。

 

原作とか脚本とかベースがあって、それを映像化する時、演出家はその世界観をそこに再現すべく、タクトを振るのだと思う。でも、こちらは多くの人が参加する総合芸術であり、あらゆる微細なことによって左右されてしまうものなので、非常に難しく、だからこそ面白い。