年末に喪中の葉書を受け取った。友人の義父が6月に亡くなったということだった。
100歳だった。
その方には、(多分友人の結婚式の日にお会いしているのだろうが)会ったことはない。
でも、ひとつだけその人の話を聞いたことがあった。
それは、「引退して時間ができたので自伝を書くという素敵な人なの」とその友人が言っていた。
その一言だけだが、とても印象に残っている年上の男性だった。
人は何年生きられるのか分からないが、ラッキーな人は、年老いて引退という時期がやってくる。
体力的には限界でも、家の中で過ごす自由な時間を持つことも出来る。
他人からみたら、有名人でもなんでもない、それぞれの人に、それぞれの人生がある。
それを自伝にするって素敵なことだと思った。
実際には、自伝を書くということそのものも重要なのだろうが、これまでの道のりを振り返るということなのだと思う。
その話を聞いてから、私もいつか自伝を書きたくなる時のために、自分史メモを作り始めた。
たまに思い出してはメモするだけで、全然テキトーなのだけど。
学生の時は、学年や周囲にいた人物で記憶を蘇らせることができるが、社会に出ると、もう何年の出来事なのか、前後関係もぐちゃぐちゃになってしまう。
昨年のようなとんでもない年だと記憶は飛躍的に上がる。(ああ、あの時はマスクをしていたから、2020年だ)みたいな。
私は中学3年から38歳まで日記をつけていた。確かにつけていたのだけど、一度も読み返していないので、どの程度真面目につけていたのかは分からない。でも、時々昔を振り返って疑問が浮かんだ時に、大丈夫、日記があるから、それを読めば分かる。と思っている。
でも、振り返るために日記帳を開くことはまだない。
その時期が来るのかどうかも分からない。
死ぬ前に自分で処分しなくちゃ、とも思っている。
人は何年生きられるか分からない。
だから、自伝を書き始めるタイミングも、自分の人生を振り返るタイミングも、測れない。
若い時は、先(未来)ばかり見て生きているが、年老いてくると先が短くなるので、現在を考えることが増える。それで良いのだと思っている。
一番幸せなのは、現在の、今の、この瞬間のことを考え、ビビッドに幸せな瞬間を積み重ねることが出来る人だと思っているから。
しかし実際にはそうもいかない。昔を振り返ることも多い。亡くなった親や親友のことを考えることも頻繁にある。自伝を書けば、そういう人たちが山ほど登場してくる。
そんな日がはたして私に来るのだろうか?