人は何を大切にして、生活の中心に何を置いて生きて行くのだろうか?
若い時は、勉強、恋、仕事、夢……
勉強は、いくつになっても続けられる。
ただ、学生にとっての勉強とは少し違う。
恋、これはやがて終わる。
年をとっても恋をすればいいが、
これが生活の中心になることはない。
なってはいけないと思う。
仕事、一部の仕事を除いて、いつか定年がやってくる。
夢、これが一番年を取ると持ちにくいモノ。
持ってる人は素晴らしいと思うけれど、
その情熱を持ち続けることは簡単ではないので、
本当に一部の人に限られる。
若い頃に生活の中心に置いていたものは、
そのほとんどが消えていくのだと思う。
続けることは出来ないことではないが、生活の中心ではない。
生活の中心にあるモノ、
それは、日々を暮らすということだ。
ずーっとやり続けなければならないことは、
家事。
掃除して、洗濯して、美味しいモノを作って食べる。
それが基本。
これなくして豊かに暮らすということは成り立たない。
しかし、近年、この家事というものがないがしろにされてきた。
戦後、三種の神器と呼ばれた三家電(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)
家事労働の軽減を図るためにその後も多くの家電製品が開発された。
今どき、冷蔵庫がない生活は考えられない。
洗濯機が自動になって、どれほど楽になったことか。
朝、洗濯機を回しながら、掃除したりご飯作ったり、
この回しながら……という時間が、以前は洗濯物をもみ洗いする時間だったのだから。
しかし、その後、家事労働はどんどん軽減された。
そして、どこまで手を抜くべきかを考えた時、出てくるのは料理だろう。
料理を作るか、買うか、外で食べるか?
作るならば、どこから作るか?
総菜を購入するか、冷凍食品を購入するか、野菜や肉を購入して料理するか、
それとも調味料から作ってしまうか?
それによって料理という家事作業の時間は大きく変わってくる。
共働きで子どもが居たりすると、当然主婦は大忙し、
そうそう手間暇かけた料理は作れない。
そこでスーパーの総菜と優れた家電製品を活用して、
短時間で美味しいものを作る。
優れた技だと思う。
しかし……
料理をするという行動は、かなり身体にいいことだ。
実際にやっていて感じる。
忙しい人でも、たまの休みに、手間暇かけてシチューを煮込む、なあんてことをする人は
きっと分かるはず。
体感しているはず。
のんびり鍋をかき回している作業は間違いなく体にいい。
ついでに体にいいものを後ほど食べられる。
更に、料理は、計画性や全体バランスなど、重要な作業がたくさんあるので、
前頭葉をフルに活動する。
つまりボケ防止にもいいらしい。
例えば、この料理という身体にとってもいい作業を生活からカットして、
その代わりに、仕事する。
確かに、三種の神器で、主婦たちは大変な家事労働から解放されたけれど、
その代わりに得たものは、実はもう少し体に悪いことだったりする。
更に問題なのは、それによって暇になってしまった人たちだ。
年を取ると、体力的にも出来ないことがたくさん発生する。
とどのつまり、社会で働くことが出来なくなってゆく。
そして暇になる。
暇ほど辛いものは、実は無いのだ。
しかし、よく考えてみたら、
生活の中心である家事作業は、なくならないし、
やろうと思えば、一日を費やせるくらいいくらでもやることがあるのだ。
そして体にいい。
そう、掃除してても洗濯してても料理してても、
これほど身体にいいことをやらないのは損だなぁ~と感じる。
そして、この家事を愉しみ、
居心地の良い空間で美味しいものを楽しく食べることが
結局は豊かに暮らすということなのではないかと
定年間近の私はよく考えるのだ。