阿弥陀岳のすそ野ということで、
我が家の庭は、掘ると石がゴロゴロ出てくる。
だから、畑にするために、土を運んでもらうことにした。
ところが、その土がまだやってこない。
そのうちに、庭は雑草で覆われた。
ぼんやりしていても仕方がないので、
脇の方に少し花壇のように土を均して
ハーブなどを植えた。
昨日からは、畑になる庭の中心部分の石堀を始めた。
この上に30センチくらい土を盛ってもらうわけだが、
その土台からも石を取り除いた方が、
将来いいことがあるかもしれない。
更に、石は石で使い道があるのだ。
ということで、掘り始めた。
ある位置で自分の周囲掘り始める。
とにかく石に当たる。
土の中に石があるというよりは、
石の間に土が詰められているという感じ。
今朝は、まだ暑くなる前に2時間ほど石堀り
中央雑草の合間に黒くなっているところ、
そこだけ掘って
これだけの石が出てきた。
不可さ10センチくらいしか掘ってないけど。
ブラジル開拓民の気分になる。
遠く日本を離れて豊かな土地を求めてブラジルに行った人々は、
予定外のその土地を耕すことから始めた。
しかし、私には、この広い土地をつるはしやシャベルだけで耕すのは無理。
無理というよりも、それをやり始めない方がいいだろう。
途中でめげるのが怖い。
そして時々大物が現れる。
今度は、考古学者の気分になる。
石の端を求めて、周囲を掘る。
小さな石がザクザク出てくる。
そして大物がグラッと動いた時は、
なかなかの感動である。
そして持ち前の完璧主義が首をもたげる。
大物と中くらいの石と、小石を分けたくなるのだ。
小石は、家の周囲の砂利として敷けばいい。
大物は、燐家との仕切り、中物は、花壇の仕切り。
色々考えるが、
多くを求めると挫折する。
だからなるだけ適当にやり続ける。
本当は、全部石をどけて、その石たちには畑以外の場所で活躍して貰いたい。
石を一つずつ掘っては一輪車に投げ込む。
この今はとっても邪魔な石のひとつひとつも私のものなのだ。
と噛みしめる。
貴重なモノのように感じる。
いやいや、ここで感傷的になっていると
いつまでたっても終わらない。
また、適当にやろうと心がける。
夕方、もう少し涼しくなったら、
また少し作業をしようと考えている。
土が届くまで、数百個の石をどけるだけ。
それでも、自分の庭の自分の石や土が、
少しでも役に立つように。


