私の中では、ごみの分別は当たり前のことになっていますが、
まだまだやっていない人もこの国にはたくさんいるのだということを時々思い知らされます。
どんなことでも楽しめれば、きっと出来るのに。
私が子どもの頃、
近所に焼却炉があって、
燃えるごみは全部そこで燃やしていました。
母と一緒に、ごみを持って行って、燃やしていた記憶があります。
ごみの収集になったのはいつからか覚えていないけれど、
ゴミの分別が細かくなった時のことは、色々覚えています。
何よりも、プラゴミが分別になりリサイクルになった時のことは鮮明に覚えている。
当時、私は千葉県市川市に住んでいて、かなり早くリサイクルになった。
それから東京都に引っ越して、こっちの方が分別は遅かったですが、
今は、
可燃ごみ、不燃ごみ、を分け、
その他にリサイクルとして、ビン、缶、プラ、紙、牛乳パック、などなどがある。
牛乳パックは、かなり以前から、切って洗ってリサイクルしていたので、
かなりの人がきちんとできているのではないかと思う。
ビンも洗って、外れるものはラベルを外す。
口にプラがついているものは、ペンチなどを使って取り外す。
これが簡単に取れるものと、なかなか取れないものがある。
缶は、中をすすいで、紙ラベルのものは外れるので外す。
さて、今日はペットボトルの話。
我が家は、多分、ペットボトルのゴミを出さないトップランキングに入れてもらえるかもしれないほど
ペットボトルが出ない。
というより、多くの人がペットボトルの飲み物を購入しすぎている気がする。
よその家に行って、ペットボトルのお茶が出てきたりすると、
正直、ちょっともったいないなぁと感じてしまう私。
稽古場に行けば、全員が、一本ずつペットボトルの飲み物を持参している。
勿論、私はボトルに何か入れていく。
通常の500ミリのペットボトルの飲み物を私が購入するのは、
多分、一年に10本はない。
自販機で購入することは皆無と言っていい。
それでもペットボトルは出る。
週に一本とか?
時々炭酸水を購入するので、そのごみと、
調味料が入っているペットボトル。
さて、この分別方法は、
ラベルを取り、キャップを取り、
それらは、プラゴミ
残りがペットボトルとしてリサイクルであるが、
このキャップを取った後、キャップの下の部分がペットボトルに残る。
これはそのままペットボトルのリサイクル側に出していいのだろうか?
いいわけがないのだけれど……。
果たして、ペットボトルがどれほどリサイクルされているのか私には分からない。
リサイクルする方がお金がかかるという話も聞いたことがあるし、
そもそも、リサイクルをみんながみんなきれいに出来ているわけではない。
中を軽く洗うことにどれだけの意味があるのかもわからないし、
やっぱりラベルを外さずに捨てている人もいる。
それを分別する人が居るの?
本当は、すべての人がきちんと出来ればいいのだろうが、
どんなことでも「すべての人」にはならないのが世の常だ。
だからリサイクル効果が薄いのか?それは分からないけれど。
ただ、私は、この結構面倒なごみの分別を楽しんでやっている。
そう、面倒なことは楽しいのだ。
そう、エコ生活は楽しいのだ。
無駄を省いて、地球に優しい生活をしているという満足感が、
心地いいのだ。
いつからだろうか?
ごみを大量に出すことに罪悪感がある。
コンビニなどのお弁当のパックを捨てると、ごみ箱がいっぱいになる。
どうも嫌だ。
そんな感情から始まって、
私は、エコ生活を楽しめる人になっていた。
多分、そもそも親から無駄をしない倹約生活を教え込まれていたお陰だと思うが、
どんなことでも、楽しめることがポイントだ。
やらなければならないこと、
世の中にとって良いと思われることは、
楽しんでできれば、なによりだ。
まだまだやっていない人もこの国にはたくさんいるのだということを時々思い知らされます。
どんなことでも楽しめれば、きっと出来るのに。
私が子どもの頃、
近所に焼却炉があって、
燃えるごみは全部そこで燃やしていました。
母と一緒に、ごみを持って行って、燃やしていた記憶があります。
ごみの収集になったのはいつからか覚えていないけれど、
ゴミの分別が細かくなった時のことは、色々覚えています。
何よりも、プラゴミが分別になりリサイクルになった時のことは鮮明に覚えている。
当時、私は千葉県市川市に住んでいて、かなり早くリサイクルになった。
それから東京都に引っ越して、こっちの方が分別は遅かったですが、
今は、
可燃ごみ、不燃ごみ、を分け、
その他にリサイクルとして、ビン、缶、プラ、紙、牛乳パック、などなどがある。
牛乳パックは、かなり以前から、切って洗ってリサイクルしていたので、
かなりの人がきちんとできているのではないかと思う。
ビンも洗って、外れるものはラベルを外す。
口にプラがついているものは、ペンチなどを使って取り外す。
これが簡単に取れるものと、なかなか取れないものがある。
缶は、中をすすいで、紙ラベルのものは外れるので外す。
さて、今日はペットボトルの話。
我が家は、多分、ペットボトルのゴミを出さないトップランキングに入れてもらえるかもしれないほど
ペットボトルが出ない。
というより、多くの人がペットボトルの飲み物を購入しすぎている気がする。
よその家に行って、ペットボトルのお茶が出てきたりすると、
正直、ちょっともったいないなぁと感じてしまう私。
稽古場に行けば、全員が、一本ずつペットボトルの飲み物を持参している。
勿論、私はボトルに何か入れていく。
通常の500ミリのペットボトルの飲み物を私が購入するのは、
多分、一年に10本はない。
自販機で購入することは皆無と言っていい。
それでもペットボトルは出る。
週に一本とか?
時々炭酸水を購入するので、そのごみと、
調味料が入っているペットボトル。
さて、この分別方法は、
ラベルを取り、キャップを取り、
それらは、プラゴミ
残りがペットボトルとしてリサイクルであるが、
このキャップを取った後、キャップの下の部分がペットボトルに残る。
これはそのままペットボトルのリサイクル側に出していいのだろうか?
いいわけがないのだけれど……。
果たして、ペットボトルがどれほどリサイクルされているのか私には分からない。
リサイクルする方がお金がかかるという話も聞いたことがあるし、
そもそも、リサイクルをみんながみんなきれいに出来ているわけではない。
中を軽く洗うことにどれだけの意味があるのかもわからないし、
やっぱりラベルを外さずに捨てている人もいる。
それを分別する人が居るの?
本当は、すべての人がきちんと出来ればいいのだろうが、
どんなことでも「すべての人」にはならないのが世の常だ。
だからリサイクル効果が薄いのか?それは分からないけれど。
ただ、私は、この結構面倒なごみの分別を楽しんでやっている。
そう、面倒なことは楽しいのだ。
そう、エコ生活は楽しいのだ。
無駄を省いて、地球に優しい生活をしているという満足感が、
心地いいのだ。
いつからだろうか?
ごみを大量に出すことに罪悪感がある。
コンビニなどのお弁当のパックを捨てると、ごみ箱がいっぱいになる。
どうも嫌だ。
そんな感情から始まって、
私は、エコ生活を楽しめる人になっていた。
多分、そもそも親から無駄をしない倹約生活を教え込まれていたお陰だと思うが、
どんなことでも、楽しめることがポイントだ。
やらなければならないこと、
世の中にとって良いと思われることは、
楽しんでできれば、なによりだ。