『スミカスミレ』の1話で、
古臭いワンピースを着ているスミレが「以前母が作ってくれたものなので……」というセリフに
真白くんが答える
「洋服作れるなんて、凄いね」

ウルッときた。

私の母も洋服をいつも縫ってくれていた。
小学校時代の私は、いつも母親の手作りの服を着ていた。
私には2学年違いの姉がいたので、
私はいつも彼女とお揃いの服を着て、
その後、彼女のお古も回ってきて着ていた。
とにかくいつもいつも母の手作りの服を着ていた私が写真に残っている。

いつから母は服を作らなくなったのだろう?

よく考えてみる。

私が、初めて自分のお小遣いで洋服を購入したのは、
確か中学三年生。
トレーナーを買った。それからGパン。
トレーナーを買ったことをよく覚えている。
自分で服を買ったことがとても嬉しかったから。

でも、今考えてみると、
あのタイミングが、母が服を作らなくなったタイミングなのではないか?と思う。
そう考えてみると、
あれは嬉しいタイミングではなかったのだ。

多分、経済成長で大量生産出来るようになり、
既製品の服が安く購入できるようになったのだ。
つまり手作りよりも安い。
全くこう書いてみると変な話だ。

生地を購入して、
母が採寸して、服を縫う。
そこには時間と労力と愛情がある。
その服よりも安価で、見た目にも素敵な服がたくさん市場に出始めた。
だから、作らなくなる。

料理もそうなのだろう。
冷凍食品がなかなかおいしくなり、
高くないなら、手間暇かけて作るよりも買った方がいいじゃん。
ってことになる。
ある時期から、手作りのご飯を子どもに食べさせない母親も出始めた。

でも、どちらも、手作りの方がいいに決まっている。

高度経済成長で、
世の中すべてが技術発展、大量生産、便利になった。
いいことたくさんあったけど、
よくないこともたくさんあった。

いいことだけを見るようにしてみると

例えば、服を購入することも出来るけど、
服を作ることも出来る。
つまり選択権が出来た。
と考えよう。
でも、洋服縫えないなぁ~。
生地も結構高いんだよなぁ~。
生地屋さんそのものが少ないしなぁ~。

手作りの服を楽しむことは
もう……私には出来ないのかもしれない。